田村 恵基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
福岡県田川郡糸田町 |
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生年月日 |
(1976-05-22) 1976年5月22日(48歳) |
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身長 体重 |
172 cm 74 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
捕手 |
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プロ入り |
1994年 ドラフト6位 |
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初出場 |
1998年7月30日 |
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最終出場 |
2000年7月20日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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田村 恵(たむら けい、1976年5月22日[1] - )は、福岡県田川郡糸田町出身[1]の元プロ野球選手(捕手)。現在は広島東洋カープのスカウトを務める。
経歴
1992年、鹿児島商工高等学校に入学。その年の夏の甲子園では1年生ながら控え捕手としてベンチ入りする。その後1年の秋から同期の福岡真一郎(九産大 - プリンスホテル)とバッテリーを組み[2]、1993年には春夏連続で甲子園に出場する[3]。
1994年、校名が「樟南高等学校」に変更される。その年の夏の甲子園ではチームの主将を務め、準優勝という成績を収めた[1]。当初は進学予定であったがその後、同年のドラフト会議で広島東洋カープから6位で指名され、契約金3000万円、年俸400万円で入団する[4]。
1998年、一軍初出場を果たす[4]。以降、2000年までの3年間で一軍の試合に計62試合出場するが、2002年に戦力外となった[5]。同年オフに現役を引退する[4]。
現役引退後、スコアラーを経て、2004年から広島東洋カープの九州地区担当スカウトを務める[1]。2013年のドラフト会議では、担当スカウトとして球団史上初めて抽選に臨み、大瀬良大地の交渉権を獲得したことで話題になった[6]。
人物
高校時代、福岡真一郎とのバッテリーはアイドル的な人気を博した[7]。田村も「黒縁眼鏡の捕手」として注目を集め[1]、強肩も相俟って「古田2世」と評されることもあった[4]。城島健司を差し置いて高校日本代表で正捕手を務め、小野仁らとバッテリーを組んだ。
本職は捕手だが、二軍(ウエスタン・リーグ)では外野・内野での出場もあった。
スカウトとしては選手の伸びしろを重視しており、スカウト活動では「選手が24、25歳になった時の成長曲線を描く」ようにしているという[8]。田村が担当した選手には、上述した大瀬良の他にも安部友裕[1][4]、松山竜平[1]、今村猛[1][4]、中﨑翔太[4]、戸田隆矢[4]などがいる。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1998
|
広島
|
28 |
44 |
41 |
4 |
9 |
2 |
0 |
0 |
11 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
3 |
0 |
0 |
7 |
3 |
.220 |
.273 |
.268 |
.541
|
1999
|
12 |
23 |
20 |
1 |
5 |
1 |
0 |
0 |
6 |
1 |
0 |
0 |
1 |
0 |
2 |
0 |
0 |
1 |
1 |
.250 |
.318 |
.300 |
.618
|
2000
|
22 |
19 |
19 |
1 |
2 |
1 |
0 |
0 |
3 |
0 |
1 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
.105 |
.105 |
.158 |
.263
|
通算:3年
|
62 |
86 |
80 |
6 |
16 |
4 |
0 |
0 |
20 |
1 |
1 |
0 |
1 |
0 |
5 |
0 |
0 |
9 |
4 |
.200 |
.247 |
.250 |
.497
|
記録
背番号
出典
関連項目
外部リンク