田口 益人(たぐち の ますひと)は、飛鳥時代末期から奈良時代初期にかけての貴族・歌人。氏姓は石川朝臣のち田口朝臣。官位は正五位上・右兵衛率。
出自
武内宿禰の後裔氏族である田口氏(田口朝臣)[1]の出身。田口筑紫または田口豊嶋の子とする説がある。
経歴
始め石川朝臣姓を称していたが、大宝2年(702年)田口朝臣の本姓に復する。慶雲元年(704年)従六位下より四階昇進して従五位下に叙爵。
元明朝に入り従五位上に叙せられた後、和銅元年(708年)上野守に任ぜられ地方官として赴任するが、翌和銅2年(709年)右兵衛率として京官に復している。元明朝末の霊亀元年(715年)正五位下より正五位上に昇叙されている。
養老6年11月20日(723年正月)卒去。
人物
『万葉集』に2首の和歌作品が入集。
2首とも上野国への赴任の途中、駿河国庵原郡浄見埼(現在の静岡市清水区興津清見寺町あたり)で詠んだ歌。
- 廬原の 清見の崎の 三保の浦の ゆたけき見つつ 物思ひもなし(3-296)
- 昼見れど 飽かぬ田子の浦 おほきみの 命かしこみ 夜見つるかも(3-297)
官歴
『続日本紀』による。
系譜
脚注
参考文献
- 宇治谷孟『続日本紀 (上)』講談社〈講談社学術文庫〉、1992年
- 中西進訳『万葉集 全訳注原文付』講談社、1978年。
- 坂本太郎・平野邦雄監修『日本古代氏族人名辞典』吉川弘文館、1990年。
- 佐伯有清編『日本古代氏族事典』雄山閣出版、1994年
- 宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年