田久保賢植

田久保 賢植
Kenshoku Takubo
Nbuy硬式野球部 選手兼コーチ #13
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県八千代市
生年月日 (1984-03-31) 1984年3月31日(40歳)
身長
体重
174 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴
  • フロッシ・ブルノ (2012)
  • フェルトキルヒ・カージナルス (2014)
  • フロッシ・ブルノ (2015)
  • Nbuy

田久保 賢植(たくぼ けんしょく、1984年3月31日 - )は、千葉県八千代市萱田町出身の元プロ野球選手外野手)、野球指導者。一般社団法人オールネーションズ副代表。

6か国(アメリカ日本カナダオーストラリアチェコオーストリア[注 1]独立リーグマイナーリーグチームでプレーした経験を持つ。

経歴

高校時代に雑誌でメジャーリーグモントリオール・エクスポス)のトライアウト記事を見たことがきっかけで、フロリダ州のベースボールアカデミー、次いでアメリカのサマーリーグに参加[1][2]。元は外野手だったが、この渡米時の経験で内野手にも挑戦した[1]。状態はよかったが肉離れを発症して、アメリカでの契約には至らなかった(怪我を惜しまれたという)[2]。帰国して日本の大学に入ったものの、監督との対立により退部して退学、その後約1年間は何もせずに過ごす[2]。20歳の時に再度渡米して野球に復帰した[2]

帰国後、2007年は四国アイランドリーグ徳島インディゴソックスに入団し、1シーズンプレーした[1]。徳島での成績は14試合に出場、17打数5安打、打率.294であった[3]。シーズン終了後、契約更新しない通告を受け、退団[4]

2008年カナダストラトフォード・ナショナルズに加入してプレーした。しかしカナダでも契約には至らず、野球選手として第一線から退くことを決めた[2]。帰国して社会人野球クラブチームのYBCフェニーズ[注 2]に入り、コピー機の営業職をしながらプレーした[2]。海外体験から人の思っていることを推察する能力が高まり、それにより営業では好成績をあげる[2]。営業の雑談で野球経験に触れることが増え、「自分の付加価値を高める」ため再度野球に挑戦することになる[2]

関西独立リーグコリア・ヘチ発足の際に復帰[1]。トライアウトに合格後、「若いうちは生活なんて何とかなる。大切なのはお金じゃなく、好きな野球を思い切りできる場所」というコメントが新聞で紹介された[5]

オーストラリアのレッドランズ・レイズを経て、関西独立リーグの大阪ホークスドリームに在籍[1]NPBに入団できなければ野球をやめるつもりでいたが、チェコ・エクストラリーガの紹介を受けて2012年にフロッシ・ブルノチェコ語版に入団した[1]。年齢的にNPBをめざすことが困難と感じ、海外に出ることを考えたという[1]。この入団は、親交のあった三好貴士(当時ガルフコーストリーグミネソタ・ツインズ傘下マイナーチーム監督)の知人(オーストリア人)が監督や選手としてチェコリーグにいたという事情による[2]。田久保はチェコリーグで初の日本人選手だった[2]。チェコではユースチームのコーチも務め、指導者経験の第一歩となった[6]

帰国後、2012年9月に大和侍レッズに加入した[7]が、シーズン終了後の11月末で退団した[8]

2013年はアメリカの独立リーグであるペコス・リーグアルパイン・カウボーイズで1年プレーした[注 3]

2014年シーズンは、オーストリアン・ベースボール・リーグの2部リーグであるベースボールブンデスリーガに所属するフェルトキルヒ・カージナルスドイツ語版のヘッドコーチ兼選手を務めた。また、ヨーロピアンチャンピオンシップトーナメントにてオーストリアU21代表の3塁コーチを務めている。当時のオーストリア代表監督は、日本人の坂梨広幸だった[6]

2015年はかつてプレーしたチェコ・エクストラリーガのフロッシ・ブルノにプレイヤーコーチとして復帰を果たし、同時に前年のオーストリア代表チームもU21代表からそのまま昇格し、フル代表のコーチを務めた。この年で現役を引退する[6]

2017年2月、日本学生野球協会の定める研修受講により、学生野球資格(指導者)を取得した[9]

2021年現在は、マンツーマンを基本とした野球指導「BMIパーソナルサポートレッスン」を手掛け[10]、対面指導の場でもある地元・千葉県八千代市のプライベートジム「On Deck Circle」の管理人や一般社団法人All Nations Baseballの理事も務める。本業は家業の内装業を実家の八千代市で務めている[6]

2022年からは、2021年12月17日付で日本野球連盟へ加盟承認された社会人野球チーム・Nbuy硬式野球部に選手兼コーチとして参加[11]

人物

かつては在日韓国人であり、それをコンプレックスに思うこともあったが、高校時代にベースボールアカデミーに参加した際に様々な人種に接したことで意識が変わった。なお、現在は帰化している[2]

野球指導者としては、多くの国でプレーした経験から「引き出しが多い」と評され、指導する選手の個性に応じた指導を心がけていると述べている[6]

チェコ・エクストラリーガ初の日本人選手となった縁から、2023 ワールド・ベースボール・クラシックで本戦初出場となり、東京での第1ラウンドを戦うことになったチェコ代表の様々なサポート役としてチームに帯同した。愛称は「ケニー」[12]

大阪ホークスドリームと大和侍レッズで監督だった田中実が野球界から離れていた頃、「また野球やらないんですか?」と指導者復帰を提案し、その後田中は信濃グランセローズのコーチとなった[13]

脚注

注釈

  1. ^ コリア・ヘチは韓国資本のチームだったが、活動は日本国内のため、日本としてカウント。
  2. ^ 高木遊の記事では「YBC柏」となっているが、この名称は2014年からの使用でそれまでは「YBCフェニーズ」だった。
  3. ^ 独立リーグドットコムの記事ではラスベガス・トレインロバーズとあるが、実際に入団したのはカウボーイズだった。

出典

  1. ^ a b c d e f g ラスベガス・トレインロバーズ 田久保賢植 選手 - 独立リーグドットコムインタビュー第16回(2013年5月14日)
  2. ^ a b c d e f g h i j k 高木遊 (2021年2月21日). “文春野球コラムウィンターリーグ2021「呼ばれてもいないのに海を渡った野球人」2021 野球「チェコリーグ」初の日本人選手・田久保賢植 “口論も厭わない国”で得たもの (1/3ページ)”. 文春オンライン. 2023年3月11日閲覧。
  3. ^ 打撃成績(全選手) 2007年 - 四国アイランドリーグplus
  4. ^ 徳島IS 勝沢投手・益田投手・田久保選手退団のお知らせ - 四国アイランドリーグ情報ブログ2007年11月12日(四国新聞)
  5. ^ “野球独立リーグ、増えたけど 運営基盤や連携に課題”. 朝日新聞. (2010年1月2日). https://www.asahi.com/sports/baseball/npb/news/TKY201001010109.html 2021年5月8日閲覧。 
  6. ^ a b c d e 高木遊 (2021年2月21日). “文春野球コラムウィンターリーグ2021「呼ばれてもいないのに海を渡った野球人」2021 野球「チェコリーグ」初の日本人選手・田久保賢植 “口論も厭わない国”で得たもの (2/3ページ)”. 文春オンライン. 2023年3月11日閲覧。
  7. ^ 新入団選手のお知らせ - 大和侍レッズ公式ブログ(2012年9月3日)
  8. ^ 退団選手のお知らせ - 大和侍レッズ公式ブログ(2012年11月30日)
  9. ^ 学生野球資格回復に関する規則第4条による適性認定者 - 日本学生野球協会(2017年2月7日閲覧)
  10. ^ LESSONS”. Kenshoku Takubo official site. 2021年2月17日閲覧。
  11. ^ “新しい社会人野球チーム「Nbuy」硬式野球部発足 監督には元西武、中日で活躍した大友進氏”. 日刊スポーツ. (2022年2月3日). https://www.nikkansports.com/baseball/news/202202030000605.html 2022年5月15日閲覧。 
  12. ^ 松山 ようこ (2023年3月12日). “チェコ代表ウィリー・エスカラ、佐々木朗希から死球を受けたその後の出来事”. J SPORTSコラム&ニュース. 野球のコラム. p. 1. 2023年3月13日閲覧。
  13. ^ 室井昌也 (2023年7月1日). “トラック運転手から復帰のBC信濃コーチ 日韓でプレー後に詐欺事件巻き添えの憂き目も、滲む優しさ 後編”. Yahoo!ニュース. https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/98aa291a0c75ffafa461b77f88f9b9f10ffaca5e 2023年7月2日閲覧。 

関連項目

外部リンク