田中 徳次郎(たなか とくじろう、1894年(明治27年)8月20日 - 1992年(平成4年)7月9日)は、日本の実業家。東京海上火災保険社長、日本損害保険協会会長などを歴任した。
群馬県西群馬郡高崎町(現高崎市)出身[1][2]。1913年群馬県高崎中学校(現群馬県立高崎高等学校)卒業[3]。1917年東京高等商業学校(現一橋大学)本科卒業。一橋基督教青年会出身[4][1]。同年三菱合資入社[1]。1944年東京海上火災保険取締役[1]。1947年東京海上火災保険社長[1]。1948年日本損害保険協会会長[5]。1952年海運造船合理化審議会委員[6]、国際電信電話設立委員[7]。1955年日本海外移住振興設立委員[8]、自動車損害賠償責任保険審議会委員[9]。1957年東京海上火災保険会長[1]、東京急行電鉄取締役[10]。同年藍綬褒章受章[11]。1960年三菱商事監査役[12]。
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