生田 清三郎(いくた きよさぶろう[1] / せいざぶろう、1884年(明治17年)1月13日 - 1953年(昭和28年)11月7日[1])は、朝鮮総督府官僚。
経歴
徳島県名西郡石井町に坪井定三郎の三男として生まれ、生田彦平の養子となった。徳島中学校を経て[1]、1905年(明治38年)、中央大学を卒業し、高等文官試験と弁護士試験に合格した。統監府属、朝鮮総督府事務官、殖産局水産課長、同商工課長、監察官、平安北道知事などを歴任した。1925年(大正14年)に内務局長に就任し、中枢院書記官長と日本赤十字社朝鮮総督府副総長を兼ねた。
1929年(昭和4年)に退官した後は、多獅島鉄道株式会社社長に就任した。
1945年(昭和20年)には京城府尹、京畿道知事を務めた。
脚注
参考文献
- 『御大典記念 阿波人物鑑』徳島日日新報社、1928年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(下)』人事興信所、1943年。
- 『徳島県歴史人物鑑』徳島新聞社、1994年。