王 昶(おう ちょう、1725年 - 1807年)は、中国清代の乾隆時期の学者。字は徳甫。号は述庵。世間には蘭泉先生として知られる。松江府青浦県珠街閣(現在の上海市青浦区朱家角鎮)の出身[1]。
乾隆19年(1754年)に進士となり[1]、官職は刑部右侍郎にいたった。経学に堪能であり、考證にも精通していた。『金石萃編未刻稿』160巻は、中国の金石学、東洋史学の一到達点であった。
詩・詞・文をよくし、詞は姜夔・張炎をならい、文は韓愈を模範とした。
Lokasi Pengunjung: 18.118.142.78