王子製紙苫小牧工場(おうじせいしとまこまいこうじょう)は、北海道苫小牧市にある王子製紙の工場。 1910年(明治43年)の操業以来、王子製紙の中核工場としてパルプから紙まで一貫生産体制を行っている[1]。
王子製紙では唯一苫小牧工場のみが新聞用紙の生産を続けており[2]、日本国内需要の約25%を供給している[1]。また、単一工場としては世界最大規模の新聞用紙生産工場になっている[1]。
工場内の複数の施設が「苫小牧市の製紙関連遺産」として経済産業省の「近代化産業遺産」[3]、工場の塀に広がる植物が「王子製紙苫小牧工場の塀の花」として「未来にのこしたい日本の花風景『池坊 花逍遥100選』」に選定されている[4][5]。
設備
- KP 製造設備 (630 t/D)[1]
- TMP 製造設備 (760 t/D)[1]
- RGP 製造設備 (190 t/D)[1]
- DIP 製造設備 (1,950 t/D)[1]
- GP 製造設備 (400 t/D)[1]
- PGW 製造設備 (190 t/D)[1]
- 抄紙機 (8台、3,623 t/日)[1]
- 水力タービン (13台、40,350 kW)[1]
- ボイラー (7台、1,490 t/H)[1]
- 蒸気タービン (13台、267,550 kW)[1]
歴史
王子製紙は1873年(明治6年)設立の「抄紙会社」に始まり、1876年(明治9年)に商号を「製紙会社」と変更、1893年(明治26年)に創業地の名を冠し「王子製紙」と改称した[6]。苫小牧工場建設の背景は、日露戦争後に急増した新聞需要と経営が悪化した会社の命運を賭けた生き残り策であった[7]。苫小牧を建設地に選んだのは、支笏湖が背後にあるため水力発電に必要な水量が豊富にあること、原材料の入手に不自由しないこと、広大な用地を安価で購入できることなどが理由であった[7]。1908年(明治41年)から関連工事が始まり、千歳川水系で6カ所、尻別川水系で2カ所の水力発電所を建設し[7]、工場の建築資材や原木を運ぶ軽便鉄道(王子軽便鉄道、苫小牧軽便鉄道)を運用して人や物を輸送した[7]。1910年(明治43年)の苫小牧工場操業は会社の生産量を跳ね上げ、日本国内のシェアを伸ばした[7]。また、工場の操業は苫小牧の発展にも大きく影響を及ぼしている[8][9][10]。
福利厚生
福祉厚生施設の設置目的は労働の再生産であるが、社員確保の側面もあった。工場建設時から迎賓館(王子倶楽部)や仮事務所に病院(王子総合病院の前身)を開設し[11]、1910年(明治43年)の工場操業時には職員に対して寮、配給所[注 2]、共同浴場といった日常的な施設を整備した。一方、職工に対しては運動会や演劇などのソフト面で賄われ、ハード面の整備が遅れた。1915年(大正4年)には娯楽施設の「王子娯楽場」が開場している(1982年閉場)[11]。昭和になると野球場や武道場といった体育施設を設置しており、1937年(昭和12年)には大規模なスケートリンクを整備した。1956年(昭和31年)に屋内体育施設の「王子スポーツセンター」(後の王子製紙スケートセンター)が完成したが、施設の老朽化によって2012年に閉鎖した[22]。1968年(昭和43年)開館の「成志会館」は成志倶楽部の流れを引き継いでおり[11]、約100人収容のホールや宿泊施設があった(1999年閉館)[11]。これら施設の多くが一定期間を経て一般利用することができたため、苫小牧の地域経済にも寄与した。
関連施設
旧迎賓館
クラブ活動
アクセス
関連会社
グループ会社
その他
脚注
注釈
出典
参考資料
関連項目
外部リンク