王 世貞(おう せいてい、嘉靖5年11月5日(1526年12月8日)- 万暦18年11月27日(1590年12月23日))は、明末の文人・政治家。
字は元美、号は鳳州(ほうしゅう)、または弇州山人(えんしゅうさんじん)。
人物
蘇州府太倉州の出身。官は刑部尚書に至った。弟に詩人の王世懋がいる。
業績
李攀竜らとともに古文辞派・後七子に数えられる[1]。
万暦年間前半の20年、文壇に君臨し、文は前漢、詩は盛唐を貴んだ。書法・書論をよくし、特に評論家として有名である。著に題跋として『弇州山人題跋』・『弇州書画題跋』、書論として『古今法書苑』(漢から明に至る書学関連文献の集大成)・『弇州山人四部稿』174巻(四部とは賦・詩・文・説の4目)・同『続稿』207巻(賦・詩・文の三部)・『芸苑巵言』(古今の書についての見解を述べたもの)など多数ある[2][3][4][5]。
脚注
- ^ 『王世貞』 - コトバンク
- ^ 鈴木洋保 P.202-205
- ^ 藤原鶴来 P.140
- ^ 比田井南谷 P.274
- ^ 辞典(西川) P.16、P.18
参考文献
関連項目
外部リンク