玉川町(たまがわちょう)は、かつて愛媛県の東予地方にあった町。越智郡に属した。高縄半島の中央部に位置していた。
地理
町の中央部を二級河川の蒼社川が流れている。中流域には玉川ダムがあり、蒼社川は今治市の上水道としての役割を担ってきたが、しばしば水害にも襲われてきた。
地質は主に領家帯の花崗岩が分布し、花崗岩の間隙からアルカリ単純泉が湧出する。この形態は道後温泉と同じである。その他、ホルンフェルス、安山岩が一部に分布。接触変成作用により銅鉱床が形成されており、一部零細鉱山が稼働していたが現在は閉山。そのほか花崗岩ペグマタイトによる珪石鉱床を胚胎し、一部採掘された。このような花崗岩ペグマタイト鉱床、接触変成による鉱床は越智郡内に数多く分布している。
花崗岩地形のため降水が集中するとマサ部の表層崩壊が多数発生し、神戸市の六甲山麓と同様に土砂災害も懸念される。
また玉川ダム下流部には明瞭な河成段丘が分布する。
歴史
下記以外に旧村の歴史も参照のこと。
- 1889年(明治22年)12月15日: 町村制施行に伴い越智郡に以下の4村が成立。
- 鈍川村 ← 鈍川村, 木地村, 鬼原村
- 九和村 ← 長谷村, 三反地村, 大野村, 法界寺村, 摺木村, 与和木村, 鍋地村, 桂村, 御厩村
- 鴨部村 ← 小鴨部村, 畑寺村, 高野村, 中村, 別所村, 八幡村
- 竜岡村 ← 竜岡上村, 竜岡下村, 葛谷村
- 1954年(昭和29年)3月31日: 鈍川村、九和村、鴨部村、竜岡村が合併して玉川村となる。
- 1962年(昭和37年)4月1日: 玉川村が町制施行して玉川町となる。
- 1976年(昭和51年)9月12日: 台風17号の集中豪雨で公民館や民家が押しつぶされる被害、4人が死亡[1]。
- 2005年(平成17年)1月16日: 今治市、菊間町、大西町、波方町、吉海町、宮窪町、伯方町、大三島町、上浦町、朝倉村、関前村と合併し、今治市となる。
行政
経済
産業
- 主要産業は農業、林業および今治市に隣接していることからタオルを中心とした繊維工業も盛んである。また町の面積のほとんどが山林である。その他、伊予三湯の一つ、アルカリ単純泉の鈍川温泉があり、観光産業も盛ん。国道317号の中継点として今治市と松山市の中間にあり、近年はベッドタウンとしての機能を担ってきた。
- 主要農作物である生椎茸は原木からのもので、その味は非常に高い評価を得ている。近年では、これら玉川町の農作物を農家から直接購入することができる玉川湖畔の里などが整備された。町内山間部の竜岡地区のこの施設は周辺市町村からも多くの人が訪れ、特に4月初めの桜の開花時には大変なにぎわいをみせる。
金融機関
地域
教育
町内のホール、体育館、美術館など公共施設は充実しており、住民は高い文化性を涵養することが可能である。しかし、旧竜岡村、旧鈍川村など山間部は過疎化が進み、近年も鈍川小学校が閉校されている。
中学校
小学校
交通
鉄道路線
道路
高速道路
一般国道
- 国道317号
県道
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
町内には弥生時代の遺跡や古墳時代の古墳があるほか、楢原山(奈良原山)頂には、奈良原山経塚があり、出土した銅経筒、銅宝塔などは考古資料として極めて重要なもので、「伊予国奈良原山経塚出土品」として国宝に指定されている。釈迦山の宝蔵寺には木造釈迦如来立像(国の重要文化財)がある。四国八十八箇所の寺院として、第五十八番仙遊寺、第五十七番栄福寺があり、遍路が行き交う。
出身・ゆかりのある人物
脚注
- ^ 山からは鉄砲水 不明二十四人に 住民、巡視船で脱出『朝日新聞』1976年(昭和51年)9月13日朝刊、13版、22面
関連項目
外部リンク