この数はローマ教皇(=ローマ司教)を指すとする説が、反カトリック教会の注意喚起として普及している。それによれば、「666」とはラテン語で「神の子の代理」を意味する"Vicarius Filii Dei"の、ローマ数字部分を足し合わせたものと一致する、という(V=5、C=100、I=1、L=50、D=500)。マタイによる福音書等の「荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば」はエキュメニズムを指すとされている。
13章18節を含む写本では、115と同時代、あるいはそれより古いと推測される3世紀に書かれた47があり、こちらは「666」としている。115はアレクサンドリア写本(A と略す)と C に読みが近く、47はシナイ写本(א と略す)に近い。ヨハネ黙示録においては、א よりも、A と C が本文(オリジナルの文)に近いと考える研究者もいるが[2]、この箇所では、肝心の A と C の読みが異なっている。「666」とするものは、ギリシア語大文字写本では47, א, A, 051 があり、また小文字写本のほぼ全てがこれに従う。一方、「616」の異読は、115, C の2写本のみがある。2世紀のエイレナイオスは「666」を本文と見なしており(『異端反駁』第5巻 30, 3)、これも「666」を支持される有力な根拠となっている。現時点では、「616」が本文であるとする研究者はごく一部に留まる。
^Philip W. Comfort and David P. Barrett, The Text of the Earliest New Testament Greek Manuscripts, (Wheaton, Illinois: Tyndale House Publishers Incorporated, 2001)