熊野田村(くまのだむら)は、かつて大阪府にあった村。古くは熊野代とも表記された。花山上皇が紀州熊野三山を模した寺を建て、山号を熊野代山と称した。かつての摂津国豊島郡の一地域で、現在の豊中市の赤阪、旭丘、東泉丘、西泉丘などの東部を村域とした。
略歴
- 1401年(応永8年) 古文章の「春日社領垂水西牧田数帳」に「熊野田村 拾町 公田定」と村の存在が記述された項目が出てくる。
- 1594年(文禄3年) 9月の豊臣秀吉による太閤検地の際、「豊島郡熊野田村御検地帳写」には「村高429石 家数138」と書かれた記述がみられる。
- 1605年(慶長10年) 「摂津国絵図」に村の記述がみられる。
- 1818年(文政元年)頃 漢方医の石丸周吾によって私立の精神科診療所「石丸癲狂院」(後の石丸病院、第二次世界大戦中に閉院)が開院[1]
- 1889年(明治22年)4月1日 町村制施行により、豊島郡熊野田村(町村制)が発足。
- 1896年(明治29年)4月1日 郡の統合により豊能郡が成立。
- 1936年(昭和11年)10月15日 豊中町、麻田村、桜井谷村と合併して、豊中市となる。
- 熊野田村は町村制施行時、単独施行につき大字が編成されなかったことから、以降約20年間、旧 熊野田村域は豊中市の大字無しの地区となる。
- 1956年(昭和31年) 豊中市熊野町の起立により熊野の名が復活。
周辺
脚注
参考文献
関連項目