湊谷 夢吉(みなとや ゆめきち、1950年 - 1988年6月7日)は京都市出身の日本の映像作家、漫画家、音楽家。
経歴
1950年 京都市内に生まれる。
1969年 京都市立紫野高等学校卒業。SF研究会所属。3人組のフォークソングバンドを結成、ギターとボーカルを担当。
1970年 八ヶ岳コミューン、三里塚を経て「関西プロテクトフォーク」一員として全国各地巡業。
1972年 北海道に渡り、札幌に定住。5月、ソロライブ(京都ほんやら洞)。
1973年に勤務のかたわら銀河画報社を設立。
1975年 漫画誌「銀河画報」を発行。「謎の天体観測大会」開催。
1976年 初アルバム録音中にスタジオが倒産、マスターテープ消失。
「漫我駄」(設定・脚本・作画監督/湊谷夢吉 キャラクターデザイン・作画/志馬充 背景・その他/左京景)が北冬書房発行の「夜行6号」に再録。
1977年 映画「スバルの夜」(山田勇男監督)美術・演出・編集・音楽。
1978年 「夜窓」(山田勇男監督)美術・演出。「惜夏記」を夜行7号に再録。
1980年 初の書き下ろし新作「文久二年の爆裂弾」を「夜行9号」に発表。以後「エロトピアDX」「スーパーアクション」「コミックばく」「コミックモーニング」に作品を発表。「海の床屋」(山田勇男監督)構成・演出・美術・音楽。
1981年 「家路」(山田勇男監督)音楽・演出・キャスト。「マルクウ兵器始末」(夜行10号)、「満州バニシング」(夜行11号)を発表。
1982年 「銀河鉄道の夜」(山田勇男監督)脚色・美術・挿入歌・制作・キャスト。中編「魔都の群盲」を「夜行12号」に発表。その力量で劇画界を震撼させる。「粗骨の果」(エロトピアDX8月号)を発表。
1983年 「巻貝の扇」(山田勇男監督)共同演出・特殊効果・制作。「活動屋番外地」(エロトピアDX4月号)、「鋼鉄の處女」(エロトピアDX10月号)を発表。
1984年 第一作品集『魔都の群盲』を北冬書房から刊行。「アヤカシの大連」(エロトピアDX6月号)を発表。「悲しいガドルフ」(山田勇男監督)共同演出・制作。
1985年 「青き零年」(山田勇男監督)音楽。「ブリキの蚕」(コミックばくNo7)、「海岸綺談」(銀星倶楽部No3)を発表。「銀河画報社祭」開催。
1986年 第二作品集作品集『マルクウ兵器始末』を北冬書房から刊行。「虹龍異聞」(夜行14号)、「蒼ざめた皇女を視たり」(月刊スーパーアクション9月号)、「蛇神の血脈」(エロトピアDX4月号)、「ライプニッツの罠」(漫画ゴラク1月10日号、1月24日号)を発表。初のオールカラーの作品「銀河探偵局事件帖」をコミックモーニング増刊(講談社)に連載開始。「銀河画報社祭2」開催。
1987年 「ボエオテイアの山猫」(山田勇男監督)共同演出。「無用の天地」(エロトピアDX4月号)、稲垣足穂論「三日月をまわす機械」(ユリイカ・稲垣足穂特集1月号)を発表。
1988年6月7日、ガンのため38歳で札幌医科大学附属病院にて病没。
死後、第三作品集『紅龍異聞』(北冬書房 1988年)、『虹龍異聞』『魔都の群盲』『ブリキの蚕』(アスペクト刊 1999年)、歌集「トベトベヒカウシャウネン」(CD2枚組)が発売。
作品リスト
参考資料
- 湊谷夢吉コスモス http://www.gogorocket.jp/cosmos/cosmos.html
- 「活字にならなかった死亡記事・漫画家と民俗学者の死 山口昌男」本8月号
- 「イメージの冒険者 故湊谷夢吉 寡作の中の”豊穣”の再発見 松枝至」 毎日新聞10月20日
- 1989年 「夜行16号湊谷夢吉追悼」発行。「君は1個のエクリチュールだった 松枝至」「湊谷夢吉のこと 管野修」「われもまた異国びと…梶井純」「銀河画報とバサラ 宮岡蓮二」「夢吉さんの思い出 南日れん」「緑色のハート 山田勇男」「浄土の光 花輪和一」「湊谷夢吉伝説 高野慎三」「YUMEKICHI SPIRITUAL MIND 尾原和久」「日記3/14~6/7 湊谷雪子」
- 「宮迫千鶴が読む 虹龍異聞 湊谷夢吉」産経新聞1月24日
- 「飛行機と映画を共に愛した湊谷氏を追悼する シネアストとしての湊谷夢吉 西嶋憲生」イメージフォーラム3月号 特集ベストワン1988
- 「力量のある新人の登場・非商業誌に新しい資質を見いだす。梶井純」週間読書人・時評&展望5月1日号
- 「叛意からのストレートな感性 湊谷夢吉の劇画とは? 杉浦俊太郎」読書北海道10月15日号
- 「夢をつくる 湊谷夢吉「魔都の群盲」 中村正明」美術手帳10月号
- 「幻の漫画家・夢吉 迫力の作品集近く刊行(雲)」読売新聞9月10日夕刊