渡口 政吉(とぐち せいきち、1917年5月20日 - 1998年8月31日)は、沖縄県那覇市出身の空手家。沖縄空手道剛柔流尚禮館初代館長。剛柔流流祖の宮城長順、および比嘉世幸に教えを受ける。
元東京都空手道連盟相談役 元東京都中野区空手道連盟相談役 元法政大学沖縄空手道剛柔会師範 元沖縄空手道剛柔流尚禮会会長
代々木修練会空手道場師範
1917年(大正6年)5月、沖縄県那覇区(現・那覇市)に生まれる。1933年(昭和8年3月)剛柔流流祖宮城長順の弟子である比嘉世幸の道場に入門。比嘉世幸と宮城長順の両方に教えを受ける。
1942年(昭和17年)4月南スマトラ・パレンバン製油所に軍属として勤務。その間、軍人および現地人に空手を指導した。1946年(昭和21年)、終戦により沖縄県糸満市に復員。
1952年(昭和27年)、宮城長順を会長として剛柔流振興会が結成されると、常任理事に就任。翌年、宮城の死去により剛柔流振興会を空手道剛柔会に改称(会長・比嘉世幸)、副会長になる。
1954年(昭和29年)、空手道剛柔流研究所尚礼館創立。1956年(昭和31年)に結成された沖縄空手道連盟の理事に就任した。1960年(昭和35年)10月に上京し、以後東京で活動した[1]。
以下渡口政吉が創作した空手の型の一覧
拳の道は又禅の心でもある。沖縄空手剛柔流尚礼館は拳を学び、修めんと志す人々の為に、六個条の拳章を定めて学修の指針とする。
一、礼節を尊ぶべし
一、和の心を養うべし
一、忍耐する事を学ぶべし
一、精進に徹すべし
一、心と技の一致に務べし
一、空手道の信条を生活にいかすべし
・沖縄時代の弟子でのちに独立した空手家は次のとおりである。
新城正信(尚武舘)
兼井勝良(神武館)
當山全秋(心治館)
境龍剛 (龍心会)
久場良男(拳武館)
・東京時代の弟子は次のとおりである。
伊藤孝三郎(尚礼会)
平川樹高 (尚禮舘)
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