浅野 長容(あさの ながかね)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。通称は左京、兵部。安芸国広島新田藩の第4代藩主。官位は従五位下・近江守。
略歴
第2代藩主・浅野長喬の長男として誕生。幼名は粂之助。
父の長喬は長容が生まれる前年の明和6年(1769年)に死去したため、宗家広島藩浅野家からの養嗣子長員が家督を継いでいた。天明8年(1788年)7月1日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。寛政12年(1800年)9月10日、長員が隠居したため家督を継ぐ。
文政元年(1818年)、一門から長訓を養嗣子として迎える。文政7年(1824年)1月6日に55歳で死去し、家督は同年6月17日に長訓が継いだ。
系譜
- 父:浅野長喬(1732-1770)
- 母:不詳
- 正室:浅野重晟の娘
- 生母不明の子女
- 養子
浅野氏 広島新田藩4代藩主 (1800年 - 1824年) |
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