河村 善益(かわむら よします、安政5年1月21日[1](1858年3月6日)- 大正13年(1924年)9月21日[2][3])は、日本の判事、検事、貴族院勅選議員。
経歴
加賀国石川郡金沢城下(現在の石川県金沢市)に加賀藩士河村耀朝の三男として生まれる[4]。1884年(明治17年)、司法省法学校を卒業し、司法省御用掛となった[5]。1886年(明治19年)、京都始審裁判所検事となり、翌年に同判事に転じた。京都地方裁判所部長、福井地方裁判所所長、大阪控訴院部長、大審院判事、大阪地方裁判所所長、函館控訴院長を歴任した。1906年(明治39年)、大審院検事に転じ、翌年からは東京控訴院検事長を務めた。また法律取調委員会委員にも就任した。
1921年(大正10年)に退官した後は、同年6月14日、貴族院議員に勅選され[6][7]、研究会に所属した[2]。竹田宮宮務監督を務めた。
また、大阪で勤務していた1905年(明治38年)から翌年にかけて関西大学学長を務めた[8]。
脚注
出典
- ^ 『退職検事河村善益叙勲ノ件』
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』116頁。
- ^ 『官報』第3628号、大正13年9月25日。
- ^ 『人事興信録』人事興信所、第3版、1911年。
- ^ 『帝国法曹大観』帝国法曹大観編纂会、1915年、P.63
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、30頁。
- ^ 『官報』第2661号、大正10年6月15日。
- ^ 『関西大学創立五十年史』関西大学、1936年。
参考文献
外部リンク