沢田 雅美(さわだ まさみ、1949年〈昭和24年〉7月11日 - )は、神奈川県横浜市出身[2]の女優。京浜女子短期大学附属高等学校(現・鎌倉女子大学高等部)中退[3]。夫は俳優の赤松秀樹[4]。
来歴・人物
1964年、10代半ばでTBSのオーディションに合格し、『ただいま11人』にてデビュー。
1967年放送の『渥美清の泣いてたまるか』での渥美とのカラミは絶妙とされた。
若手の頃から石井ふく子プロデュース作品(TBS系列)には常連出演しており、「石井組(ファミリー)」の一員と見なされていた。
山岡久乃や京塚昌子からはデビュー当時よりとても可愛がられ、「山岡のお母さん」「京塚のお母さん」と呼んで慕っていた(『徹子の部屋』より)。
1980年より放送された『心』の沢木三和役で評判を呼んだ。
1994年、表舞台から姿を消した(交際相手と師・恩人でもある石井との確執など、色々な憶測が飛び交い、他の石井組からは雑誌などで批判された)。降板以後はテレビドラマにほぼ出演せず、吉幾三公演や松竹新喜劇などでの舞台公演やテレビショッピングの司会をしていた。
- 『渡る世間は鬼ばかり』の第7シリーズ(藤岡最後の出演、2005年3月放送)第50回のラストで、11年ぶりの出演を果たし(この際発表された石井の談話で、最初から確執は無かったとされている)、2006年4月から始まった第8シリーズ(このシリーズより大吉役が宇津井に交代)からは12年ぶりにレギュラー復帰した。現在もドラマや舞台などに、2000年代に入った頃からは沢田の元気で明るくユニークなキャラクターを生かしてバラエティー番組などにも多数出演するなど精力的に活動している。
- 特技の日本舞踊と華道は師範であり[5]、小唄と書道は名取の腕前でもある。2000年代に入ってからの趣味は夫婦でウォーキングをすることで健康維持のために禁煙、禁酒を始めたと徹子の部屋出演時に語っている。
- 2009年9月に新橋演舞場で上演された「おんなの家」で3姉妹を演じた水谷八重子や波乃久里子とは昔からのドラマ、舞台共演等が縁で、プライベートでもたいへんに親交が深く普段から実の姉妹のように3人で一緒に行動を共にするという。2010年4月7日放送の「いい旅・夢気分」にも三人で仲良く出演した。
- 2011年12月12日の「徹子の部屋」出演時に、60歳を過ぎた時から突然声の調子や指が痛くなってきてしまい震えがとまらなくなるなど悩んでいたが、その他にもバセドウ病に片目だけがなってしまったと初告白をし、治療写真を番組内で公開した。体調を泉ピン子に相談したところ『マチャミ、お互いに60歳を過ぎるとあちこちガタが出てくるのよね』と言われたという。
- 2013年4月3日には極秘で胃がんの手術を受けていたことが分かった[6]。3月14日に夫の勧めで検査をしてがんが見つかり胃の3分の2を摘出して、手術の翌日には集中治療室から病室へ移ってからはリハビリ練習を行えるほどに回復して、退院後には8月18日に埼玉県戸田市文化会館で開幕する舞台「三婆」出演に向けて懸命にリハビリを続けていたが一足先にバラエティー番組などで復帰した。
出演
テレビドラマ
テレビ番組
映画
CM
脚注
- ^ 沢田 雅美、フルカウント。2023年6月21日閲覧。
- ^ a b 中野裕子 (2022年7月4日). “女優・沢田雅美さん「渡鬼」降板報道の真相で「本が一冊書けてしまうかな(笑)」|あの人は今こうしている”. 日刊ゲンダイDIGITAL. 2022年7月4日閲覧。5頁、2023年6月21日閲覧。
- ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.544
- ^ “徹子の部屋|テレビ朝日”. www.tv-asahi.co.jp. 2022年7月4日閲覧。
- ^ “2018年9月28日 第3261回例会 於:横須賀商工会議所 <卓 話> 「私の芸能生活で出会った人々」”. 2022年7月4日閲覧。
- ^ “沢田雅美 胃がんの手術告白/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2022年7月4日閲覧。
関連項目
外部リンク