『江戸生艶気樺焼』(えどうまれ うわきの かばやき)は、江戸時代中期の文学作品。山東京伝の黄表紙の代表的な作品。3冊。発刊は1785年(天明5年)。京伝24歳の作品。
挿絵は山東京伝(北尾政演)自作。版元は蔦屋重三郎。
あらすじ
上巻
百万長者仇気屋の一人息子艶二郎[1]は19歳だが、生来好色で、新内節に登場する色男のように自分も浮名を流せたら死んでもいいなどと馬鹿馬鹿しいことを考えていた。
艶二郎は、近所の道楽息子北里喜之介や幇間医者わる井志庵とつるんで、さまざまに色事の工夫を凝らしていた。喜之介「新内めりやす[2]が色事には欠かせない。恋文も封じ目の仕方や書き手の遊女の名前が源氏名ではなく本名を書くようになると深い仲と知れる」志庵「恋文を書き終わり巻紙を口紅のついた口で切るのはしろうと女ではないし、耳の脇に枕胼胝があるのも商売女と知れる」
艶二郎は情人の名を刺青するのが好色の第一歩と思い、両腕や指の間にまで架空の情人の名を痛みをこらえて彫りこんでいった。喜之介「女の嫉妬で彫り物を消した痕があったほうがいいから灸をすえて消そう」艶二郎「色男になるのもつらいね」
艶二郎は、役者などの家に熱狂的な女ファンが思い余って駆け込んでくるのを羨ましく思い、近所の芸者おゑんを50両で雇い自分の家に駆け込ませようと志庵に交渉させた。
駆け込んできたおゑんを見て、艶二郎の家の下女たちは「うちの若旦那に惚れるとは物好きな変わり者だ」とささやきあった。おゑん「わたしは寄る辺なき浮気な芸者。薬師堂の縁日で艶二郎さんを植木の蔭から見初めました。女房になれないなら飯炊き女にでもしてください。それも駄目なら死ぬ覚悟」と注文された通りの台詞を並べる。艶二郎「色男というものは思わぬ難儀を背負い込むものだ。(おゑんにそっと)あと10両はずむからもっと大きな声で隣近所に聞こえるように言ってくれ」番頭「不細工な若旦那にはよもやこういうことはあるまいと思ったのに。これ女、家を間違えたのではないか」艶二郎の父親は仕組まれたこととは知らず困惑してようよう女を帰らせた。
この噂はぱっと世間に広まるだろうと思いのほか隣家にさえ伝わらなかったので艶二郎は張り合いをなくし、ついに読売[3]を1人1両で雇い、おゑんの件を印刷した摺り物を江戸中で売らせた。読売「仇気屋の息子艶二郎という色男に芸者が惚れて駆け込んだよ。詳しくはこの摺り物に書いてあるよ。お代はいらないよ」窓から見ていた女「みんな嘘八百じゃないの。ただでも読むのが面倒さ」
艶二郎はくしゃみをするたびに世間が自分のことを噂しているだろうと思うが、町内でさえおゑんの件を知る者はいない。この上は女郎買いをして浮名を流すしかないと考え、喜之介・志庵を取り巻きにして吉原のうはき松屋に行った。女将「瀬川さんと歌姫さん[4]は都合が悪くて来れそうもありません。最近、森田座で松本幸四郎が墨河[5]を演じるそうですね。」
艶二郎は浮名屋の浮名という遊女に決めて、浮名に惚れられるつもりで精一杯気取り襦袢の襟元を整えたりするのであった。志庵「(浮名に)おまえは世間では客あしらいの巧みな女郎という評判だね」喜之介「(浮名に)まるで女郎衆の総元締めみたいだ」浮名「(志庵・喜之介に)頼みますからいい加減なことをおっしゃいますな」
中巻
艶二郎は女郎買いに行っても家で焼餅を焼く者がいないと張り合いがないと言って、周旋屋に焼餅さえ焼けば器量はどうでもいいという条件で40近い女を仕度金200両で妾に抱えた。艶二郎「お前は去年俺が中洲で買った地獄(密淫売婦)ではないかしらん。小便組[6]じゃあないだろうねえ」妾「わたしを妾にしても女郎買いや浮気が忙しくてわたしなぞは構ってくれますまい」と約束どおり焼餅を焼くふりをする。
艶二郎は深川・品川・新宿をはじめありとあらゆる岡場所で女郎を買ったけれども浮名屋の浮名ほどの女郎はいなかった。さて浮名と遊ぶにしても通り一遍では面白くないので浮名の情夫(女郎が商売気ぬきで会いたがる愛人)になりたいと思ったが浮名が承知するとも思えない。そこでわる井志庵が浮名の表向きの客になってこれを揚げづめにし、艶二郎は新造買い[7]をして浮名に会い、思い切りたくさん金を使いながらも思いに任せないところが何ともいえないと喜んでいる。艶二郎「(浮名に)お前が俺のところに来ると、お前を揚げ続けているあのお大尽(実はわる井志庵)が焼餅を焼いてやり手婆や男衆を呼んで文句を言っているのを聞く心持のよさは5、600両の価値はあるねえ」浮名「(艶二郎に)本当にあなたは酔狂な人ですねえ」志庵「俺の役もつらい。座敷で遊んでいるときは大尽のようだが、座敷が終わって寝床に入るときになると(浮名が艶二郎のところに行ってしまうので)蒔絵の煙草盆と俺だけになってしまう。これも渡世と思えば腹も立たないが五枚重ねの布団と錦の夜着で寝るだけというのは割りにあわないねえ」
艶二郎は「助六廓の家桜」の台詞を思い出し、あの台詞のように禿(かぶろ。遊女になる前の見習いの少女)が馴染みの客を他の妓楼に行かせまいとして縋り付くのを大層羨ましく思った。そこで新造や禿に頼み込んで艶二郎が大門にいるところをわざと捕まえてもらうことにした。そして羽織くらいは引き裂けてもいいという約束で引きずられていく芝居をした。一方新造や禿は艶二郎に人形を買ってもらう約束で無駄口をたたきながら艶二郎を引きずっていった。艶二郎「これこれ離してくれ。こうやって引きずられて行くところは大層外聞がいいねえ」
艶二郎が数日ぶりに家に帰ると、待ち受けていた妾はここぞ奉公のしどころと練習していた焼餅の台詞を存分にしゃべる。妾「本当に男って図々しいもんだね。それほど女に惚れられるのが嫌なら、あんたみたいに色男に生まれなければいいのさ。女郎も女郎だ。ひとの大事な男を居続けさせやがって。お前さんもお前さんだ。まあ、今日はこのへんで焼餅の台詞はおしまいにしときましょう」艶二郎「恥ずかしい話だが生まれて初めて焼餅を焼かれた。何とも言えないいい心持だ。もう少し焼いてくれたら、お前がねだっていた八丈縞と縞縮緬を買ってやろう。頼むからもうちょっと焼いてくれ」妾「この後は八丈縞と縞縮緬が来てからのことにしましょう」
艶二郎は、役者や女郎が名入りの提灯・手拭などを寺社に奉納するのと同じ心意気で両国回向院の開帳に提灯を奉納しようと思った。そこで北里喜之介を提灯屋に行かせて浮名と自分の紋を重ねた比翼紋の提灯を注文した。また同じ比翼紋の手水手拭を呉服屋に注文して諸所の流行りの神社に奉納した。大変な出費なうえに何の願をかけたわけでもないので、このような奉納は確かにうわべだけのことであった。喜之介「(提灯屋に)大至急作ってくれ。提灯の骨はしげ骨、本物の漆塗り、真鍮の金物で、いくらかかってもいいから立派な提灯をこしらえてくれ」提灯屋「そんなに急にはできません。今は吉原の夜桜の催しに使う提灯を作っておりますから」
艶二郎は芝居をみているうちに、どうも色男というものはぶたれるものと思いこみ、しきりにぶたれたいと願うようになった。そこで地廻りの男を1人3両の手間賃で4,5人雇い、吉原の人目の多いところでぶたれる手配をした。茶屋の2階では荻江藤兵衛に新内めりやすを唄わせ、ぶたれて乱れた髪は浮名に梳かせるつもりで月代には青黛(せいたい)を塗り、髪は毛がばらばらになるようにあまり油をつけずに結い、たぶさを掴むとすぐに髷がほどけるようにしてぶたれた。ところがぶち所が悪く息も絶え絶えになって、髪を梳くどころか気付け薬よ鍼よと大騒ぎをしてやっと息をふきかえした。この時に艶二郎はよっぽどの馬鹿という噂が少し流れた。地廻り「(艶二郎に)お前のような色男がうろつくと女郎衆の心がうわついてしょうがねえ。おいらもちっと妬ましいかぎりだ」という台詞は艶二郎が注文して言わせたもの。地廻り「(艶二郎を殴りながら)芝居の見物から色男の二枚目に『罰あたり』という声がかかるところだ」艶二郎「(殴られながら)その拳骨ひとつが3分(1両の4分の3)についている計算だ。少しばかり痛くてもいいから見栄えのいいように殴っておくれ」
艶二郎が金持ちだから皆欲得づくで艶二郎の頼みをきくんだという世間の噂をきいて、艶二郎は急に金持ちであることが嫌になった。何とか親から勘当されたいと願ったが一人息子のことゆえなかなかかなわなかったが、何とか母親の口添えで75日限りの勘当が認められた。父「お前の望みだから是非もない。はやく家から出て行け」番頭「若旦那のお考えはもっともとは思えませぬ」艶二郎「願いかなって勘当じゃ。有り難い有り難い。404の病より金持ちほどつらいものはない。かわいい男はなぜ金持ちじゃやら」
薬研堀の有名な芸者7、8人が艶二郎に雇われて勘当が解かれるようにと浅草観音に裸足参りをした。なるほど裸足参りというのはおおかたいい加減なもののようだ。芸者1「いい加減に手をぬいて早くきりあげようよ」芸者2「(百度参りではなく)十度参りぐらいでいいのさ」
下巻
艶二郎は希望通り勘当になったが、母親が金を必要なだけ送ってくるので一向に困らない。何か面白い商売をしたいというので色男向きの地紙売[8]をしようと夏が来る前から始め、一日中歩いて足に大きな豆をつくりこの商売には懲り懲りした。この時には大変な粋狂者だという噂が立った。女「鳥羽絵(戯画・漫画のこと)のような顔の人が通るよ」艶二郎「外を歩くと日に焼けるので参る。困ったもんだ。また俺に惚れたみたいだ(女が鳥羽絵のようなと言っているのを誤解している)色男もつらいね」
艶二郎はいよいよ図に乗ってあれこれするうちに75日という勘当の期限が切れたので家からは毎日毎日勘当を解くという催促がきたが、まだ浮気なことがしたりないというので親類の口添えで勘当を20日延長してもらった。そして心中ほど浮気なものはないのだが、自分は命を捨てる気になっても相手の浮名が承知しないだろうから狂言心中しかあるまいと思った。そこで1500両で浮名を身請けし心中に必要な道具類を買い集め、艶二郎と浮名のお揃いの小袖には「肩に金てこ裾には碇、質においても流れの身」[9]という文句を染めぬいた。これは呉服屋が考え付いたことである。二人の辞世の句は摺り物にして吉原中に配らせた。そして喜之介と志庵には、二人が「南無阿弥陀仏」と言って死のうとする間際に止めてもらうことにした。志庵「花藍(からん。京伝の画の師匠である北尾重政の俳名)が描いた蓮の絵を大奉書(上質な奉書)に空摺り(絵の具をつけずに凹凸で図様を表す渋い技法)とはいい思い付きだね」喜之介「脇差は銀箔を置いた木刀を誂えておきました」
浮名は狂言心中でも外聞が悪い[10]と不承知だったが、この狂言心中が首尾よくいったら好きな男と添わせてやろうと由良助みたいな台詞[11]を言って何とか納得させた。そして秋の歌舞伎興行では艶二郎が出資者になるという条件で興行主に頼んで桜田治助(狂言作者)にこの狂言心中を浄瑠璃に仕立ててもらうことにした。そして市川門之助と瀬川菊之丞を立方にするという十中八九失敗しそうな芝居である。さらに普通の身請けでは色男らしくないというので駆け落ちのように窓の格子をはずして梯子をかけて身請けをした。妓楼の主人「どうせ身請けされた女郎ですから自由になさって結構ですが、格子の修繕料は200両にまけてあげましょう」と欲張ったことを言う。妓楼の若い衆は艶二郎から祝儀をもらってこの狂言心中を言い触らせと命じられた。艶二郎「二階から目薬というのは知っているが、二階から身請けというのはこれが初めて」若い衆1「お危なうございます。お静かにお逃げなさいませ」若い衆2「花魁(おいらん、浮名のこと)、ご機嫌よく駆け落ちなされませ」
最期の場も粋な派手なところがいいというので向島の三囲稲荷社の前の土手と決めた。夜が更けてからでは気味が悪いので宵の内にやろうと、艶二郎が贔屓にした茶屋・船宿・幇間(太鼓持ち)・芸者が太々講[12]の人々を見送るように羽織・袴を着て大川橋まで送り多田の薬師で皆と別れた。艶二郎は日頃の願いが叶ったと喜び勇んで道行をして、ここが最期にはいい場所と脇差(銀箔を置いた木刀)を抜きいよいよ最期のときと南無阿弥陀仏を唱えた。それを合図に稲むらのかげより黒装束の泥棒が二人あらわれ艶二郎と浮名を身ぐるみ剥いて真っ裸にした。泥坊1「お前らはどうせ死ぬんだから俺が介錯してやろう」艶二郎「これこれ早まるな。わたしらは死ぬための心中ではない。ここで心中を止める人間が出てくるはずなんだ。どういう手違いだろう。着物はみんな上げるから命はお助けお助け」泥坊2「今後、こんな馬鹿な思い付きはしないか」艶二郎「もうこれに懲りないことはありません」浮名「どうせこんなことだろうと思ってました」
仇気やゑん二郎・浮名やうきな道行興鮫肌[13](この後浄瑠璃風の地の文が続くが略)艶二郎のくだらない心中事件の噂はこのとき世間へぱっと広がり、渋団扇の絵の題材にまでなった。艶二郎「俺はほんの粋狂でしたことだから仕方がないが、お前(浮名のこと)はさぞ寒かろう。普通の道行きは着物を着て最期の場へ行くが、こちらは裸で家まで道行きとは全くあべこべだ。緋縮緬の褌がここで光ったのもおかしいぜ」浮名「ほんとにとんだ巻き添えをくったものさ」
日延べされていた勘当の期限も切れたので艶二郎は心中事件に懲り懲りして家へ帰った。衣桁に心中に使った小袖(心中の場で泥坊に剥ぎ取られたもの)が掛かっているので不思議に思っていると、奥から父親の弥二右衛門と番頭の候兵衛が出てきて艶二郎に説教をする。艶二郎は初めて世の中の事がわかり真人間となった。浮名も艶二郎が醜男なのを我慢して、他へ行く気もなくして夫婦となった。家の財産も十分なのでおいおい繁昌して栄えていった。そして今までの事を京伝に頼んで草双紙にして世間に広め浮気人への教訓としようとした。弥二右衛門「若い時は血気が盛んで自ら戒めることがいろいろあるということを知らないか。すべて思い付きが度を過ぎるとこんなことになるんだ。恐ろしい泥坊に身をやつした自分と番頭の仕組んだ芝居とは思わなかったであろう。以後、十分謹んでおれ。喜之介や志庵とももう付き合うな。お前だけではなく世間には同じような人間がたくさんいるようだからな」艶二郎「ここで焼餅を焼かれては面倒だから妾もどこかに片付けましょう」浮名「わたしはすっかり風邪をひきました」
脚注
- ^ 顔は不細工な団子鼻で、様々な作品や京伝の自画像にも使われ、京伝鼻・艶二郎鼻といわれた。
- ^ 京伝も1786年(天明6年)に新内めりやす「すがほ」を作詞している。
- ^ 世間の出来事を摺り物にして路上で売り歩く者
- ^ いずれも吉原の代表的な妓楼松葉屋の実在の遊女
- ^ 京伝が親交を結んでいた吉原の妓楼扇屋主人守右衛門の俳名。彼が郭内の素人芝居で工藤を演じたので、幸四郎が工藤を演じることを墨河を演じると表現している。
- ^ 仕度金をもらって妾になっておいて、故意に寝小便をして解雇されることで大金を儲けるやりかた。「小便をして逃るのは妾と蝉」という川柳もある。
- ^ 新造とは少女のような若い女郎のこと。本当の目的は姉女郎(この場合は浮名)にあるが表向きは新造を買い、ひそかに姉女郎と逢うのは通なやりかたとされた。
- ^ 扇子の地紙を売る者で初夏の頃から粋な姿で箱をかついで市中を歩いた。
- ^ 当時流行した唄「金を拾ふたらゆかたを染めよ。肩にかなてこもすそに碇、質に置ても流れぬように」を下敷きにしている。
- ^ 遊女と客の心中は、失敗すると日本橋際に晒されたうえに男女別に非人頭に引き渡された。
- ^ 『仮名手本忠臣蔵』七段目・祇園一力の場で大星由良助がお軽に「間夫があるなら添はしてやろ・・・・・・三日なりとも囲うたら、それからは勝手次第」という。
- ^ 月掛けで金を積み立てて、順々に伊勢へ行き太々神楽を奉納した。伊勢講の一種。
- ^ 興が醒めて寒さで鳥肌(鮫肌)がたったという意味。浄瑠璃の道行き文をもじっている。
挿絵
黄表紙は大人向けの絵本といわれる程に挿絵が本文同様に重要な役割を果たしている。挿絵と本文を並行して味わうところは現在の漫画と同様である。
外部リンク