永岡 俊一(ながおか としかず、1906年〈明治39年〉11月23日 - 没年不明)は、日本の実業家。南房総エンタープライズ社長[1]。横浜ゴム元専務。講道館元評議員。全日本柔道少年団元理事長。父は柔道家で講道館10段の永岡秀一。
経歴
永岡秀一・久代の長男に生まれる[2]。1930年に慶應義塾大学経済学部を卒業後、横浜護謨製造(現・横浜ゴム)に入社。1938年仙台出張所主任となり上海出張所主任、興亜ゴム工業取締役支配人、横浜護謨営業部次長兼東京支店長、総部・人事各部長を経て、1955年8月取締役に就任。1957年8月常務に推され、翌年8月に専務就任[3]。
人物
柔道は六段の腕前。趣味は謡曲・仕舞。
家族・親族
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第30版 下』人事興信所、1979年。
- 人事興信録編『人事興信録 第34版 下』人事興信所、1987年。
脚注
- ^ 『人事興信録 第30版 下』人事興信所、1979年、な 194頁。
- ^ “永岡秀一 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2021年11月6日閲覧。
- ^ “横浜護謨製造(株)『四十年史』(1959.01) | 渋沢社史データベース”. shashi.shibusawa.or.jp. 2021年11月6日閲覧。
- ^ “研究者詳細 - 永岡 慶三”. w-rdb.waseda.jp. 2024年8月14日閲覧。
- ^ “水谷英男氏が死去 元本州製紙副社長”. 日本経済新聞 (2014年9月19日). 2024年8月14日閲覧。