民主救国宣言(みんしゅきゅうこくせんげん)は、1976年3月1日、韓国・ソウルの、明洞聖堂における3・1節記念ミサで、祈祷会の最後に朗読された宣言文である。
宣言文
宣言文では
- 「独裁政権の鉄鎖に国民がつながれ、国家安保の口実の下に思想、良心の自由が萎縮され、言論の自由、学園の自主性が圧殺されている」
- 「(対日関係では)韓国経済を日本経済に完全に隷属させ、すべての産業、労働力を日本経済侵略の犠牲とした」
- 「第3世界に目を向けなかった結果、国際的に孤児となり、西方社会からも見捨てられている」
と述べ、維新体制を真っ向から批判し、朴政権の退陣を求めた。
経過
救国宣言発表直後の3月3日までに、宣言文に署名した12人のうち9人が治安当局に連行された。当時、韓国のマスコミは報道を禁止されていたため、市民が事態を知ることができない状況が続いた[1]。
3月5日、政府は「憲法秩序を破壊しようとする非合法活動である」[2]と厳しく非難した。そして3月10日、ソウル地方検察庁は「一部の在野人士が反政府分子を糾合し…(省略)…緊急措置撤廃や政権退陣要求など不法なスローガンを掲げ、政府転覆を扇動した」と発表、政治家の尹潽善・金大中・鄭一亨を初め、反政府誌「シアレソリ」の発行人である咸錫憲や尹攀熊牧師・文益煥牧師・咸世雄神父・申鉉奉神父・金勝勲神父・李文永教授・徐南同教授など20名を緊急措置9号[3]違反で立件、26日に18名を起訴した[4]。12月29日の控訴審で尹潽善・金大中・文益煥・咸錫憲などに懲役5年・資格停止5年が宣告され、その他の被告全員にも実刑判決が宣告された。
2013年3月には韓国の憲法裁判所が、4月には大法院(最高裁判所)が、それぞれ緊急措置9号を憲法違反と判断した。これを受けて再審が行われ、2013年7月4日、ソウル高裁は、金大中を含む事件の容疑者全員に、無罪判決を出した[5]。
民主救国宣言署名者
計20人[6][7]:金大中、文益煥、尹潽善、鄭一亨、李兌榮、咸錫憲、咸世雄、李愚貞、文東煥、申鉉奉、李文永、李海東、徐南同、安炳茂、文正鉉、張徳弼、金勝勲、尹攀熊、金沢岩、安忠錫
脚注
- ^ 韓国の連行旋風 政治的緊張高まる 報道できず、野党も呼応なし『朝日新聞』1976年(昭和51年)3月4日朝刊、13版、7面
- ^ 3月5日、金聖鎮文化広報部長官の声明。
- ^ 1975年5月13日に布告された緊急措置で、正式名称は「国家安全と公共秩序の守護の為の大統領緊急措置」である。緊急措置9号は、維新憲法の否定・反対・歪曲・誹謗・廃棄の主張や請願、或いはそれらについての報道さえも禁止し、違反者に対しては裁判所発行の令状無しに逮捕、押収、捜査を行うことができることが明記されていた。この緊急措置9号は1979年10月26日に朴正熙大統領が暗殺された後を次いだ崔圭夏が同年12月8日に同措置を解除するまで継続された。
- ^ 10日に立件された20名の内、2名は起訴猶予処分となった。
- ^ “「緊急措置違反」で有罪の金大中元大統領ら、36年ぶり無罪判決”. 朝鮮日報. (2013年7月4日). http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/07/04/2013070401199.html 2013年7月4日閲覧。
- ^ “상고이유서[사건 76노1835호 대통령긴급조치제9호위반]” (朝鮮語). archives.kdemo.or.kr. 2022年8月12日閲覧。
- ^ “3·1민주선언(三一民主宣言)”. 韓国民族文化大百科事典. 2022年8月12日閲覧。
参考文献
関連項目