比田井天来(ひだい てんらい、1872年3月2日(明治5年1月23日) - 1939年1月4日)は、日本の書道家。「現代書道の父」と呼ばれる。本名・鴻。雅号は天来、別号に画沙(かくさ)、大朴(たいぼく)、象之(ぞうし)、淳風(じゅんぷう)も用いる[1]。
長野県北佐久郡片倉村(現・佐久市)生まれ。幼名は常太郎。古碑法帖を多角的に研究し、古典臨書の新分野を開拓し、その集大成として『学書筌蹄』がある。俯仰法の解明をし、剛毛筆を使用して古典を分解再構築し、新しい造形世界を展開したその活動は、近代日本の書道界において新境地であったとされる。また、仁和寺伝来の三十帖冊子の橘逸勢筆の部分を看破したことでも有名である。
家族はほとんど書道や絵画の芸術に携わっている。
生地の佐久市望月には、天来ゆかりの場所として、1975年に日本初の書道専門美術館として会館した「佐久市立天来記念館」や、天来の生家の裏山に建設された「天来自然公園」がある。
天来自然公園には、天来や妻・小琴、子息・南谷をはじめとして、その他門下生の作品の碑が立ち並んでいる。
石碑も多くを手がけ、現在全国に35基程を確認できる[1]。
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