森 国造(森 國造[1][2]、もり くにぞう[3]、1867年12月10日(慶応3年11月15日)[4] - 1938年(昭和13年)3月29日[3])は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(山梨県郡部選出[3][5]、当選1回[3])。山梨県会議員[6]。族籍は山梨県平民[2][4][7][8]。
経歴
甲斐国山梨郡(後の山梨県東山梨郡平等村、現・山梨市)生まれ。森武兵衛の三男[2][4][7]。上京し、神田の共立学校に学ぶ[1]。
農業を営む[3][5]。1885年、家督を相続した[6][9]。村長就職のほか毎期村会議員に挙げられる[6]。
1894年、郡会議員に当選[6]。1896年、県会議員に当選[6]。1908年、山梨県郡部より衆議院議員に選出される[4][6]。立憲政友会に所属[5]。
銀行、会社の重役であり[9]、甲府電力、甲東電力各社長[6][10]、日本勧業銀行顧問[10]、山梨県農工銀行、峡東銀行、甲府電力、甲州電力各取締役[4][9]、山梨印刷監査役などをつとめる[3][5]。
人物
山梨県財界の巨人である[1]。住所は山梨県東山梨郡平等村上岩下[1]。
家族・親族
- 森家
森家は平等村草創の旧家で、幕政の頃は代々長百姓であった[1]。
- 親戚
- 飯田蛇笏(俳人)
- 佐藤義直(諏訪銀行取締役)
- 森喜市郎(村会議員、郡会議員)[6]
脚注
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録 第3版』人事興信所、1903 - 1911年。
- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 『山梨人事興信録』甲府興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『新撰風土記』国民通信社地方自治調査会、1934年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員略歴 第1回乃至第19回』衆議院事務局、1936年。
- 甲府興信所編『山梨人事興信録 第3輯』甲府興信所、1940年。
- 衆議院、参議院編『議会制度七十年史 第11』大蔵省印刷局、1962年。