梅溪 通虎(梅渓、うめたに みちとら、1902年(明治35年)3月8日[1] - 1984年(昭和59年)8月9日[1][2])は、昭和期の実業家、政治家、華族。貴族院子爵議員。旧姓・松平[1]。梅溪家12代当主。
経歴
三重県で、実業家・松平家晃、則子夫妻の二男として生まれる[1][注釈 1]。生まれてすぐ母方の梅溪家当主・梅溪通魯の養子となり、養父の死去に伴い、1920年(大正9年)6月21日に子爵を襲爵した[1][3][4]。
1925年(大正14年)3月、京都帝国大学法学部法律学科を卒業[2][3][5]。さらに同大学院を修了した[2][3]。日本鉱業監査役、日本水産本店庶務課長、日本海洋漁業統制(株)理事などを務めた[2][3]。
1945年(昭和20年)10月25日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[6][7]、研究会に所属して活動し、1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[2]。
親族
読売新聞グループ本社社主や巨人軍名誉オーナー、日本テレビ取締役などを務めた正力亨と華道家元の池坊専永は娘婿で、CS日本(CS日テレ)代表取締役社長で読売新聞グループ本社個人株主の正力源一郎と四代目池坊専好(旧名・池坊由紀)と池坊美佳は孫に当たる。
脚注
注釈
- ^ 松平家は仁和寺宮家臣の家系で、母則子は梅溪通治の息子・通昌(みちまさ)の娘。『人事興信録』第13版 下、マ100頁。
出典
参考文献
- 人事興信所編『人事興信録』第13版 下、1941年。
- 人事興信所編『人事興信録』第14版 下、1943年。
- 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。