柳沢 政位(やなぎさわ まさたか)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本。通称は弥三郎、のち六郎左衛門。号は清閑。
柳沢安長の長男。母は旗本飯塚昭之の娘。妻は大和郡山藩士柳沢正春の養女。
文化5年2月1日(1808年2月26日)、大和郡山藩主柳沢家と両敬の取扱いとなった[1]。
政位の致仕後、長男の政倚が家督を継いだ。
年表
※日付は旧暦
脚注
- ^ *「縁戚記」 『柳沢家譜集』 柳沢文庫保存会、1995年 pp.243に拠る。政位は柳沢家の祖である柳沢信俊の長男・柳沢安吉から数えて6代目の当主で、柳沢家の嫡流である。一方、大和郡山藩主柳沢家は藩祖・吉里が信俊の次男・安忠の孫に当たるため支流である。このような事情から、両家の間で初めて両敬の取扱いが交わされた。
参考文献
柳沢宗家7代当主(1797年 - 1808年) |
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- 信興????-????
- 貞興????-????
- 信房????-????
- 信兼????-1580
- 信俊1580-1614
- 安吉1614-1685
- 時憲1685-1697
- 時附1698-1740
- 安弘1740-1765
- 安長1765-1797
- 政位1797-1808
- 政倚1808-????
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