板倉 重高(いたくら しげたか)は、上総国高滝藩2代藩主、備中国庭瀬藩初代藩主。重宣流板倉家2代。
略歴
丹波園部藩主・小出英知の三男[7]。母は山崎氏[8]正室は中村藩主・山内豊定の娘、継室は広瀬藩主・松平近栄の養女(岩沼藩主・田村建顕の娘、近栄の外孫)。側室に安田氏。子に熊太郎、豊次郎[9]、昌信(次男)、娘(内藤正敬正室)。官位は従五位下。越中守。頼母[10]。幼名は熊之丞。
貞享元年(1684年)、高滝藩の先代藩主・板倉重宣が早世したため、その養嗣子となって跡を継いだ。元禄12年(1699年)2月、高滝から庭瀬藩に移封される。大坂加番となった。正徳3年(1713年)正月、大坂天王寺の常憲院に参拝中に病に倒れ、それがもとで2月10日に死去した。享年48。跡を次男の昌信が継いだ。法号は浄泰院徳岩源芳大居士。墓所は愛知県西尾市貝吹町の長円寺。
系譜
- 父:小出英知(1618-1695)
- 母:山崎氏
- 養父:板倉重宣(1664-1684)
- 正室:山内豊定の娘
- 継室:松平近栄の養女 - 田村建顕の次女(近栄の娘繁姫の子)
- 側室:安田氏
- 生母不明の子女
脚注
- ^ 本朝武系當鑑(元禄八年、四年)の板倉家系譜には重清の名で記載されている
- ^ 一統武鑑(宝永七年)、御林武鑑(宝永二年)、本朝武系當鑑(元禄八年、四年)、本朝武鑑(元禄元年)より
- ^ 賞延武鑑(正徳三年)、一統武鑑(宝永七年)、御林武鑑(宝永二年)には板倉重高の実父は小出英知ではなく、その子「小出伊勢守英利二男」と記載がある。
また本朝武系當鑑(元禄八年、四年)、本朝武鑑(元禄元年)によれば、板倉重高は「実父小出伊勢守」とあり、小出家の方には「小出伊勢守吉尚」(吉尚は英利の初名)という記載もあるので重高の実父は英知ではなく、英利ではあるまいか
- ^ 武鑑記載通り、実父を小出英利とすれば母はその正室井上正利の娘となる。
- ^ 重高の実父を英利だとすると、兄弟は英貞(次男)、英雄(三男)、英治(四男)、娘(片桐貞経正室)となる
- ^ 御林武鑑(宝永二年)には、「板倉頼母重高 御嫡 板倉熊太郎」と記載がある
- ^ 賞延武鑑(正徳三年)、一統武鑑(宝永七年)、御林武鑑(宝永二年)には板倉重高の実父は小出英知ではなく、その子「小出伊勢守英利二男」と記載がある。
また本朝武系當鑑(元禄八年、四年)、本朝武鑑(元禄元年)によれば、板倉重高は「実父小出伊勢守」とあり、小出家の方には「小出伊勢守吉尚」(吉尚は英利の初名)という記載もある
- ^ 実父を小出英利とすれば母は英利の正室井上正利の娘となる。
- ^ 一統武鑑(宝永七年)、賞延武鑑(正徳三年)より
- ^ 一統武鑑(宝永七年)、御林武鑑(宝永二年)、本朝武系當鑑(元禄八年、四年)、本朝武鑑(元禄元年)板倉家系譜より
板倉氏 高滝藩2代藩主 (1684年 - 1699年) |
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板倉氏 庭瀬藩初代藩主 (1699年 - 1713年) |
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戸川家 | |
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久世家 | |
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藤井松平家 | |
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板倉家 | |
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