松田雅文 |
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基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
福岡県 |
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生年月日 |
(1950-10-22) 1950年10月22日(74歳) |
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身長 |
161cm |
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体重 |
53kg(現役時) |
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血液型 |
O型 |
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選手情報 |
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所属 |
福岡支部 |
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登録番号 |
2502 |
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登録期 |
31期 |
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特徴 |
自在 |
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選手実績 |
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デビュー日 |
1971年 |
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選手引退日 |
2000年 |
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記念優勝 |
4 回 |
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SG優勝 |
2 回 |
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GI/PGI優勝 |
2 回 |
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GII優勝 |
2 回 |
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GIII優勝 |
4 回 |
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一般戦優勝 |
70 回 |
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通算優勝 |
80 回 |
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通算勝率 |
6.52 |
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通算勝利 |
出走7446回 1996勝 |
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主要獲得タイトル |
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松田 雅文(まつだ まさふみ、1950年10月22日 - )は、福岡県出身の元ボートレーサー。
来歴
1971年にデビューし、コースを問わぬ自在型であったが、八尋信夫に継いで「博多ん大将」「博多天皇」[1]との愛称で呼ばれるほど、ホームプールの福岡では圧倒的な強さを誇った[2]。1989年に当地で行われた第35回モーターボート記念で黒明良光と野中和夫を破ってSG初制覇を決めるが、GIの周年記念競走ではなかなか勝てず、43歳になった1994年の41周年で勝った[1]。
1991年の第6回賞金王決定戦(平和島)では関東初の賞金王で4周から3周になった優勝戦[3]に進出し、連勝で勝ち上がった新井敏司に初SGの期待が掛かる中[4]、松田はパワー不足で人気を落としていた[3]。レースは段々畑のようなスリットから新井が捲りに行こうとするが、内の高山秀則が握った分大きく流れ、林貢のターンが流れたところを、2コースから2号艇で出走した[4]松田が差し切り勝ち[3]。松田はSG2勝目と同時に初の賞金王[3]となり、2連単は2-1の決まり手で[4]30倍を超える大穴[3]、7000円を超える配当を記録[4]。
1997年前期には82勝を記録し、2019年後期に地元の後輩篠崎元志が83勝で追い抜くまで22年間も破られなかった[5] [6]。1998年には1月7日の一般戦「新春開運特選レース」[7]、7月7日の一般「山笠特選レース」[8]、8月18日の一般「お盆特選レース」を優勝[9]。お盆特選が最後の優勝となり、1999年10月26日の芦屋GI「モーターボート大賞競走」初日9Rで通算1996勝目(1号艇1コースから逃げ切り)を挙げ[10]、翌27日の2日目10Rが最後の出走となった[11]。2000年引退。
約29年のボートレーサー時代での実績は記念優勝およびGIIIが4回、SG・GI/GIIが各2度ずつ、一般戦での回数は70回など、通算優勝回数は80回の記録保持者である[12]。
引退後は解説者となり、西日本スポーツにて「松田雅文の気分は7号艇」を執筆している。
2007年、ボートレースの殿堂入りを果たした[13]。
獲得タイトル
※太字はSGレース
- 1988年 - 桐生開設32周年記念競走
- 1989年 - 第35回モーターボート記念競走(福岡)
- 1991年 - 第6回賞金王決定戦競走(平和島)
- 1994年 - 福岡開設41周年記念競走
脚注
関連項目
外部リンク
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