『松漠紀聞』(しょうばくきぶん)は、中国南宋人の洪皓(中国語版)が撰した金朝における見聞録[1]。紹興26年(1156年)刊[1]。
洪皓(中国語版)は建炎3年(1129年)に金に派遣され、捕虜の宋帝欽宗らの返還交渉をおこなったが、金の傀儡国家である劉斉に仕えるよう迫られ、拒否したため中国東北部(現在の通遼市 - 赤峰市)に15年間抑留されときに、当地の風俗などの見聞をまとめたものである[1]。
『松漠紀聞』は、女真完顔部の先祖であり、金朝の始祖である函普を「新羅人」と記録している。これを根拠に韓国・北朝鮮では女真のルーツは朝鮮民族であるという主張がある[2][3][4][5][6]。しかしながら、史料解釈に問題があり、中国・日本などから批判されている。