松永 藤一郎[1](まつなが とういちろう[2]、1810年 - 1891年[2])は、日本の和算家[1]。松永流珠算の創立者[3]。全国の門人3万人である[2][3]。
経歴
伯耆国会見郡上後藤村(のちの鳥取県西伯郡住吉村大字上後藤、現在の米子市上後藤)出身[4]。幼児から算盤を学び、乗除の捷径法を研究の結果発明する所があり、1878年に初めてそれを発表し、人に教授する[1]。1883年頃から日本全国を回遊し、この法を授ける[1]。講習会先の四国坂出で客死する[4]。享年82歳[1]。墓は米子市上後藤にある[2][4]。
人物
青年時代、宮相撲では「藤の森藤兵衛」の四股名で近隣に聞こえていた[2]。
30歳の時、「掛け算と割り算の早道を知れば世のためになることが大きい」と悟り、以来40年間研究を怠らなかった[2]。『珠算乗除捷径法』、『松永流珠算捷径新法』の著書がある[5][6][7]。
脚注
参考文献
- 松永藤一郎『松永流珠算捷径新法』桑木堂、1885年。
- 松永藤一郎『珠算乗除捷径法 上巻 下巻』奎文堂、1887年。
- 米子市編『米子自治史』米子市、1939年。
- 新日本海新聞社鳥取県大百科事典編集委員会編『鳥取県大百科事典』新日本海新聞社、1984年。