松平近禎

 
松平近禎
時代 江戸時代前期 - 中期
生誕 寛文5年7月24日1665年9月3日
死没 享保10年8月24日1725年9月30日
改名 巳之助(幼名)、近禎
戒名 大智院
墓所 東京都文京区小石川の伝通院
官位 従五位下筑前守相模守阿波守右近将監対馬守
幕府 江戸幕府 奏者番寺社奉行
主君 徳川綱吉家宣家継吉宗
豊後府内藩
氏族 大給松平家
父母 松平近陳阿部重次
兄弟 近禎近苗、梅休院ら
松平典信の娘
虎之助、於吹、松平近貞正室、
内藤頼卿正室、近貞大岡忠宜正室
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松平 近禎(まつだいら ちかよし)は、江戸時代中期の大名豊後国府内藩3代藩主。親清流大給松平家7代当主。官位従五位下筑前守相模守阿波守右近将監対馬守

略歴

2代藩主・松平近陳の次男。母は阿部重次の娘。

宝永2年(1705年)11月11日、父の隠居により家督を継ぐ。奏者番寺社奉行を兼務した。藩政においては新川新港の建設や、城下でたびたび起こる火事に備えての防水路拡大建設に努めている。長男の虎之助は早世したため、甥で婿養子の近貞が跡を継いだ。

系譜

父母

正室

子女

養子、養女