松平親広

松平 親広(まつだいら ちかひろ、生年不詳 - 元亀2年2月24日(1571年3月19日))は、室町時代から戦国時代武将長沢松平家の6代目当主。通称源七郎善兵衛上野介

略歴

松平一忠の長男。永禄3年(1560年桶狭間の戦いに従軍するも、嫡男政忠が討死。孫の康忠を後継にするが、まだ若年であるため親広が家政を執り行った。元亀2年2月24日に長沢城で死去[1]法名 浄賢[2]

墓所は妙心寺(愛知県岡崎市岩津) [3]

系譜

寛政重修諸家譜』による。

参考文献

  • 『寛政重修諸家譜第1輯』(国民図書、1922年、204p)
  • 『寛永諸家系図伝 1』(続群書類従完成会、1980年、185p)

脚注

  1. ^ 国民図書 1922, p. 204.
  2. ^ 続群書類従完成会 1980, p. 185.
  3. ^ 長沢松平家”. 2022年9月22日閲覧。
  4. ^ 松平金弥親能由緒書では親直。

外部リンク