松平 斉厚(まつだいら なりあつ)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。上野国館林藩主、のち石見国浜田藩主。寺社奉行。官位は従四位上・権少将。越智松平家5代。
生涯
天明3年(1783年)、館林藩主・松平武寛の長男として誕生した。まもなく父が死去したため2歳で家督を継ぐ。はじめ武厚(たけあつ)と名乗り、寺社奉行を務める。
その後、11代将軍・徳川家斉の二十男・松平徳之佐(のちの斉良)を婿養子(および養嗣子)に迎え幕府との結びつきを強め、家斉から偏諱を受けて斉厚と改名する。天保7年(1836年)には館林から浜田に移った。斉良は夭折したため、讃岐国高松藩から迎えた養子の武揚が家督を継いだ。
天保10年(1839年)、死去。
年表
官歴
系譜
- 父:松平武寛(1754年 - 1784年)
- 母:松平頼恭娘
- 正室:仲 - 松浦清娘
- 側室:関氏、石井氏
- 生母不明の子女
- 養子
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- 清武1707-1724
- 武雅1724-1728
- 武元1728-1779
- 武寛1779-1784
- 武厚(斉厚)1784-1839
- 武揚1839-1842
- 武成1842-1847
- 武聰1847-1873
- 武修1873-1919
- 武親1920-1933
- 吉修1933-1977
- 武龍1977-2007
- 武剛2007-現在
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越智松平家 館林藩藩主 (1784年 - 1836年) |
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