松平 康保(まつだいら やすもち)は、江戸時代中期から後期にかけての石見国浜田藩の世嗣。官位は従五位下・左京亮、修理亮。
略歴
高家旗本・従五位下・侍従・隠岐守前田清長の八男として誕生した。幼名は熊吉。
寛政6年(1794年)4月7日、叔父・松平康定の養子となり、寛政8年(1796年)に叙任する。しかし、寛政11年(1799年)10月に病気を理由に廃嫡され、家督を継ぐことはなく隠居、蘭斎と号した。代わって、松井松平家分家の旗本家から康任が養子に迎えられた。
文久元年(1861年)5月10日、80歳で死去し、上野・谷中延命院に葬られた。法号は隆崇院薫譽德興蘭齋大居士。
康保には2男1女の3人の子があり、男子は賢太郎、政之助で長女が歌という。後年、歌は高家前田家7代前田長義の養女となり、8代前田長徳の正室となる。
系譜
子女は2男1女
- 父:前田清長(1745年 - 1789年)
- 母:不詳
- 養父:松平康定(1748年 - 1807年)
- 室:不詳
参考資料
- 「前田家系譜」
- 「前田家先祖書」
- 「前田家過去帳」