松平 定盛(まつだいら さだもり)は、江戸時代前期の伊予国松山藩の世嗣。官位は従五位下・紀伊守、主計頭。
略歴
2代藩主・松平定頼の長男として誕生した。定勝系久松松平家宗家の嫡男として生まれ、慶安2年(1649年)に徳川家光に拝謁する。明暦元年(1655年)叙任するが、寛文2(1662年)に父の死と前後して廃嫡された。代わって、弟の定長が遺領を継いだ。
延宝2年(1674年)、37歳で没した。
脚注
- ^ 『松山市史料集 第2巻』(松山市、1987年)p.1021「松山城主久松氏系譜略」
- ^ 寛政譜などには「母は京極高広娘」と記載、松山叢書には「本藩譜云御母側室某氏」と記載されている。