松原 博(まつばら ひろし、1896年 - 1965年)は、日本の海軍軍人。海兵45期。長崎県出身。
経歴
大正6年(1917年)11月、海軍兵学校45期卒業。同期に伏見宮博義王など。
「蓬」・「皐月」・「水無月」・「初霜」・「朝霧」・「天霧」各艦長、第12掃海隊・第27駆逐隊・第24駆逐隊各司令、「阿賀野」・「翔鶴」各艦長、相浦海兵団長、川棚警備隊司令、第3特攻戦隊司令官、海軍総隊参謀副長兼連合艦隊参謀副長を歴任。
終戦後、地元長崎の佐世保地方復員局に勤務。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]。
脚注
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」42頁。
参考文献