李承 (北魏)

李 承(り しょう、431年 - 475年)は、北魏の人物。は伯業。本貫隴西郡狄道県

経歴

李宝の長男として生まれた。442年太平真君3年)、父に北魏への帰順を勧め、人質として平城に入った。北魏の太武帝に器量を認められ、姑臧侯の爵位を受けた。459年太安5年)、父が死去すると、喪に服して孝行で知られた。文成帝の末年、龍驤将軍・滎陽郡太守として出向し、その統治は厳正なことで知られた。475年延興5年)、死去した。享年は45。使持節・龍驤将軍・雍州刺史の位を追贈された。は穆といった。

子女

  • 李韶
  • 李彦
  • 李虔
  • 李蕤(字は延賓、歩兵校尉・東郡太守・司農少卿)
  • 李暉儀(鄭平城(鄭羲の兄の鄭小白の子)の妻)

伝記資料

  • 魏書』巻39 列伝第27
  • 北史』巻100 列伝第88