杉原 長氏(すぎはら ながうじ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、使番。祖父は杉原家利、父は杉原家次の弟である杉原源七郎。通称は四郎兵衛。諱は正次とも言う。
略歴
永禄10年(1567年)、杉原家次の弟・源七郎の子として生まれる。
慶長元年(1596年)より徳川家康に仕える。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いには使番の1人として従軍し、西軍敗走後の追撃で胸に矢を受けて重傷を負ったが、屈せずに首級を挙げた。本多正純よりこの話を聞いた家康から傷薬を下賜される。
翌慶長6年(1601年)に但馬国気多郡において1,000石の所領を賜ったが、同年に死去。享年35。
長氏の子孫については、嫡流は6代目の杉原正武が舟での納涼の際に悪酔いして川に落ちて死去し、明和2年(1765年)に断絶したが、傍流は明治維新まで存続した。
脚注
注釈
- ^ 杉原家利の次男で、源七郎、四郎左衛門正衛。諱は「義正」ともされる。
- ^ 父の先だって夭折した。
- ^ 松平忠直の家臣。
出典
参考文献