本田 成之(ほんだ しげゆき、1882年1月24日 - 1945年3月4日)は、日本の中国哲学者、漢学者。文学博士。龍谷大学教授。
経歴
1882年、岐阜県本巣郡生まれ[1]。号は蔭軒。出家して名古屋の円通寺で修業、南画を学ぶ。のち早稲田大学、曹洞宗大学林(現駒澤大学)に学び還俗する。1913年、京都帝国大学文学部支那哲学科を卒業。
神宮皇学館教授をへて、1920年仏教大学(現龍谷大学)支那学科主任教授となる。同年、小島祐馬、青木正児らと雑誌『支那学』を発刊する。1931年、『支那経学史論』を京都大学に提出して博士号(文学)を取得[2]。
人物
家族・親族
著書
- 『陶淵明集講義』隆文館 1921年
- 『富岡鉄斎』中央美術社 1926年、梧桐書院 1942年
- 『支那経学史論』支那学叢書 弘文堂書房 1927年
- 『皇国精神と儒教』敞文館「黎明選書」 1942年
- 『雷のひるね』晃文社 1942年
- 『富岡鉄斎と南画』湯川弘文社 1943年
- 『支那近世哲学史考』晃文社 1944年
編著・訳注
- 秦祖永『桐陰論画 和訳』 彙文堂書店ほか 1914年
- 『実業皇朝漢文』湯川弘文社 1937年 全5巻
- 『蔭軒博士近作図録 本田蔭軒南画集』東京高島屋 1939年 和装本 徳富蘇峰序
論文
外部リンク
脚注