1993年に羽鳥美保と知り合い、2人は1994年3月にチボ・マットを結成した。その前後にボウントと離婚している。羽鳥があらゆる食べ物と愛について歌い、本田が1人で電子楽器で作り上げる独特の音楽が特徴で、その年末にワーナー・ブラザースと契約した。1995年、チボ・マットは、デビュー・アルバム『Viva! La Woman』をミッチェル・フルームとチャド・ブレイクをプロデューサーに迎えて録音した[1]。同じ年、本田はジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンのラッセル・シミンズらとバンド "Butter 08" を結成し、本田とシミンズのプロデュースの下でセルフタイトルのアルバムを制作した[2]。1996年は、チボ・マットと Butter 08 の両方がアルバムを発売した。
1996年から2000年までの間、ショーン・レノンと恋人関係になり、レノンの1998年のアルバム『イントゥ・ザ・サン』のプロデューサーをつとめた。2人の出会いは本田がオノ・ヨーコの曲「Talking to the Universe」のリミックスをつとめたことから始まり、サーストン・ムーア、トリッキー、ビースティ・ボーイズ、ウィーンと共演した。チボ・マットはツアーのため、ショーン・レノンとティモ・エリスをバンドメンバーに誘った。1996年から2000年までの間、複数のプロジェクトで広く活動をしていた。
チボ・マットは2001年に解散した。それ以降ニューヨークで集中して活動するようになり、デイヴ・ダグラス、スージー・イバラ、ヴィンセント・ギャロ、トレヴァー・ダン、ジム・オルーク、ジョン・ゾーンと仕事して、2枚のソロ・アルバムを発表する。2003年にはボアダムスのドラマーであるYOSHIMI P-weと、"Yoshimi and Yuka" を結成する。
2009年の後半から2010年の前半にかけ、ショーン・レノン、清水ひろたか、小山田圭吾とプラスティック・オノ・バンドに加入して東京とニューヨークでコンサートを行った。また、マイク・ワット(ミニットメン)とネルス・クライン(ウィルコ)と "Floored By Four and Brother's Sister's Daughter" というグループで即興ショーを行い、クラインとは恋人関係となった。2人は、2010年11月、日本で結婚した[4]。