本山 健治(もとやま けんじ、1848年(嘉永元年3月) - 1919年(大正8年)3月14日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(2期)。旧姓・野口。
経歴
越後国頸城郡、のちの新潟県中頸城郡津有村の野口家に生まれ[2][3]、幼くして[3]東頸城郡菖蒲村[2](元保倉村、大島村[3]字菖蒲[2]を経て現上越市)の本山家の養子となる[2][3]。十一大区副長、村会議員を経て、1879年(明治12年)新潟県会議員に当選。1882年(明治15年)病を理由に議員を辞すが、1884年(明治17年)県議に返り咲く。翌年再び県議を辞し実業界に入り、新潟農工銀行監査役などを務めた。
1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では新潟県第7区から出馬し当選。つづく第2回総選挙でも当選した。
親族
脚注
- ^ a b c d 『越佐人物誌 中巻』967頁。
- ^ a b c d 『新潟県大百科事典 下巻』693頁。
参考文献