本多 正憲(ほんだ まさのり)は、明治維新期の安房長尾藩第2代知藩事、のち華族(子爵)・貴族院議員。正重系本多家13代。
経歴
嘉永2年(1849年)6月11日に大身旗本・菅沼正貞(駿河田中藩主・本多正意の次男)の長男[1]として生まれる。明治3年(1870年)に叙任し、同年12月23日、叔父で養父の正訥の隠居により[1]、その跡を継いで知藩事となった。明治4年(1871年)7月、廃藩置県で免官され、同年9月に東京へ移る。
明治17年(1884年)の華族令で子爵に叙せられる。明治23年(1890年)7月10日、帝国議会開設に伴い貴族院子爵議員に選出され、明治30年(1897年)7月10日まで在任[2]。大正15年(1926年)7月に隠居し、婿養子で元肥前平戸藩主松浦詮の六男の正復に家督を譲った。昭和12年(1937年)5月に89歳で死去した。
家族
父母
妻
子女
養子
脚注
参考文献
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』1990年。
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』(霞会館、1996年)
外部リンク
本多氏 長尾藩2代藩主(1870年 - 1871年) |
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