木遣、木遣り(きやり)は、労働歌の一つ、木遣り歌・木遣り唄とも。本来は作業唄だが、民謡や祭礼の唄として、各地に伝承されている。
歴史
木遣の起源は作業唄で、複数人で仕事をする時に力を一つにまとめるために、掛け声や合図として唄われたものである[1]。1202年(建仁2年)に栄西上人が建仁寺を創建したとき、人夫に歌わせたのがはじまりとする説もある(菊岡沾涼『近代世事談』)[2]。
木遣りには、材木などを移動する時に唄われる木引き木遣りと、土地を突き固める時に唄われる地形木遣り(土搗唄)がある[1][3]。時代が進むにつれて、木遣りは作業唄から離れて儀式化・俗謡化するなど、第三者に聴かせるための木遣りへと変貌した[1]。
曲目には、真鶴・地・くさり物・追掛け物・手休め物・流れ物・端物・大間など8種110曲がある[1]。
各地で無形民俗文化財・無形文化財に指定されている。1998年長野五輪、2020年東京五輪と二度に渡り、オリンピックの開会式で日本文化の代表として木遣りが披露された。[4][5]
代表的な木遣
- 御柱祭(諏訪市)
- 善光寺木遣り(長野市指定無形文化財)
- 古くは善光寺造営にかかわる用材の運搬時に唄われたと伝えられており、寛文六年(1666年)、宝永四年(1707年)、善光寺再建時に江戸棟梁によって伝えられたものが、口伝で今日まで唄い継がれたものとされる。一説には、鎌倉の鶴岡八幡宮造営に携わった職人の系統が、善光寺造営に来て残していったともいう。[26]
- 善光寺御開帳の回向柱を松代より運ぶ時、堂童子の日待占行事 節分会、御祭礼の山車を曳くとき、その他建築木材の曳き出し及び上棟会などに棟梁及び鳶職等の職人多数で行われる。[26]
- 伊勢木遣(伊勢神宮御遷宮御木曳の木遣り歌)、伊勢市[27]
- 木遣音戸(京都市登録無形民俗文化財)[28]
- 兵庫木遣音頭(神戸市登録無形民俗文化財)[29]
- 治承4年(1180年)に平清盛が福原京を造営したとき、地元の住民がこの音頭を歌い、踊りながらはやしたのが起こりと伝えている。
脚注
関連項目
外部リンク