有栖川宮韶仁親王(ありすがわのみや つなひとしんのう)は、江戸時代の皇族。世襲親王家の有栖川宮第7代当主。
生涯
父は有栖川宮織仁親王(霊元天皇皇孫)。母は家女房。幼名は若宮。妹に楽宮喬子女王と登美宮吉子女王がいる。徳川慶喜の母方の伯父にあたる。
文化4年(1807年)12月に光格天皇の猶子となり、翌文化5年(1808年)3月に親王宣下。同年5月元服し、三品に叙され、上総太守となる。文化9年(1812年)2月、父・織仁親王の落飾により有栖川宮を相続し、中務卿となった。文政5年(1822年)3月、二品。弘化2年薨去。死に際して一品に叙された。
家系
- 妃:閑院宮美仁親王の五女・宣子女王
- 第2王女:游亀宮(1821年 - 1823年)
- 第3王女:実種宮(1822年 - 1823年)
- 第4王女:韶子女王(1825年 - 1913年) - 徳川家慶の養女(「精姫」を名乗る)、後有馬頼咸正室[1]
- 家女房:円明院(豊島勝子、実は島岡造酒女)
参考文献
- 『新修有栖川宮系譜:高松宮藏版』(高松宮編修掛、1940年)
脚注
- ^ 『三川雑記』(山田三川著)p.393によると当初徳川家慶の養女となって入内するという話があったが朝廷から断られ、その後彦根藩主井伊家、加賀藩前田家への話も持ち上がったが両方とも断られ、有馬家に押しつけられたという。