月曜日の男 |
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ジャンル |
テレビドラマ |
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脚本 |
山田正弘 宮川一郎 藤川桂介 ほか |
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演出 |
飯島敏宏 今野勉 |
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出演者 |
待田京介 ほか |
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オープニング |
水原弘「月曜日の男」 |
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製作 |
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プロデューサー |
飯島敏宏 |
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制作 |
松竹テレビ室 TBS |
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放送 |
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放送国・地域 | 日本 |
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1961年9月まで |
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放送期間 | 1961年7月17日 - 1961年9月25日 |
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放送時間 | 月曜 21:15 - 21:45 |
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放送分 | 30分 |
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1961年10月以降 |
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放送期間 | 1961年10月2日 - 1964年7月27日 |
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放送時間 | 月曜 21:30 - 22:00 |
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放送分 | 30分 |
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『月曜日の男』(げつようびのおとこ)は、1961年7月17日から1964年7月27日までTBS系列局で放送されていたテレビドラマである。松竹テレビ室とTBSの共同製作。ロート製薬の一社提供。全159話。
概要
推理作家の持統院丈太郎、通称:JJが活躍するアクションドラマである。精悍なマスクのキザなJJは黒い帽子を阿弥陀に被り、口もとを少し歪めたニヒルな微笑みを浮かべてMGTDオープンに乗り、難事件を解決していく。主題歌は水原弘が歌っていた。
朝日放送製作の前番組『ダイラケ二等兵』からスポンサーを引き継いだことにより、本番組はTBS製作番組では初のロート製薬提供番組となった。
最高視聴率は、1963年8月12日放送分の40.9%[1](ビデオリサーチ調べ)。
- 本作品は生放送のドラマだったため[2]、保存されている映像や音声は1本も無い。
- 1963年初頭、使用する車両がMGからシボレー・コルベットに変更された。1963年2月15日放送分から「国道シリーズ」と称し、JJがコルベットを駆って国道1号を東京から出発し、途中の伊豆スカイライン・清水・浜松・名古屋で難事件を解決しながら大阪まで行くという新企画がスタートした。撮影は後続するベンツからなされ、演出はベンツに乗るプロデューサー飯島が携帯無線で待田に指示をだす、という手法であった[3]。
放送時間
いずれも日本標準時。「キー局番組編成変遷表」で判明。
- 月曜日 21:15 - 21:45(1961年7月17日 - 1961年9月25日)
- 月曜日 21:30 - 22:00(1961年10月2日 - 1964年7月27日)
キャスト
スタッフ
放送局
脚注
- ^ “あの時の視聴率/50年の歩み/代表者メッセージ”. jump50-おかげさまで50年- Video Research. ビデオリサーチ. 2017年10月10日閲覧。
- ^ 実際にはVTRも使用していたドラマだった。そのVTRも保存されていない。
- ^ 「番組ルポ『月曜日の男』TBSテレビ毎月曜夜9:30~ とばすぞ、150キロ」週刊明星1963年2月20日号91頁
- ^ 窪田篤人、千束北夫の名は『TBS50年史』を参照。なお、千束北夫は飯島のペンネーム。千束北男となるのは『ウルトラマン』以降。
- ^ 今野勉著『テレビの青春』より。本作は今野勉のデビュー作である。
- ^ 『バルタンの星のもとに』より。
外部リンク
TBS系列 月曜21:15枠 【本番組までロート製薬一社提供枠】 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
ダイラケ二等兵(1961年3月 - 1961年7月10日) ※21:15 - 21:45
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月曜日の男 (1961年7月17日 - 1961年9月25日)
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咲子さんちょっと(1961年10月2日 - 1963年12月30日) ※21:00 - 21:30
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TBS系列 月曜21:30枠 【ロート製薬一社提供枠】 |
ダイラケ二等兵 (1961年3月 - 1961年7月10日) ※21:15 - 21:45
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月曜日の男 (1961年7月17日 - 1964年7月27日)
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おれの番だ!(1964年8月3日 - 1967年6月26日) ※21:30 - 22:00
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TBS系列 月曜21:45枠 【本番組からロート製薬一社提供枠】 |
TBSニュース※21:45 - 21:55
スポーツニュース ※21:55 - 22:00
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月曜日の男 (1961年10月2日 - 1964年7月27日)
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おれの番だ! (1964年8月3日 - 1967年6月26日) ※21:30 - 22:00
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