春日井市立八幡小学校(かすがいしりつ やわたしょうがっこう)は、愛知県春日井市にある市立の小学校である。1952年(昭和27年)4月1日に春日井市立篠木小学校分校として開校し、1953年(昭和28年)4月15日に独立した小学校となった。
歴史
年表
- 1952年(昭和27年)4月1日 - 春日井市立篠木小学校分校として開校
- 1952年(昭和27年)5月 - 木造校舎完成
- 1953年(昭和28年)4月15日 - 春日井市立八幡小学校として独立
- 1972年(昭和47年)2月 - 鉄筋南校舎完成(本館)
- 1974年(昭和49年)2月 - 体育館完成
- 1976年(昭和51年)2月 - 鉄筋北校舎完成(北館)
- 1982年(昭和57年) - 開校30周年記念事業
- 2011年(平成23年) - 開校60周年記念事業
沿革
1943年(昭和18年)には東春日井郡勝川町、鳥居松村、篠木村、鷹来村が合併して春日井市が発足しているが、春日井市の市制施行時には鳥居松小学校、牛山小学校、春日井小学校、小野小学校、鷹来小学校、篠木小学校、味美小学校、勝川小学校の8校の小学校があり、いずれも明治時代に創立された由緒ある小学校だった[1]。
太平洋戦争終結後の1947年(昭和22年)から1949年(昭和24年)にはベビーブームで多数の赤ん坊が生まれた[2]。これらの子どもは1954年(昭和29年)頃から小学校に入学するが、これによる児童数増加を見越して9校目の小学校として開校したのが八幡小学校である[2]。当時の篠木小学校の児童数は2000人を超え、その収容能力は限界に達していた[3]。まずは1952年(昭和27年)4月1日に篠木小学校分校として開校し、初代校長には小野小学校から転任した安藤新次郎が就任した[3]。分校としての開校時の学級数児童数は12学級615人だった[3]。公園用地に指定されていた松林を学校用地に転用して、1953年(昭和28年)4月15日に独立した春日井市立八幡小学校が開校した[1]。
1957年(昭和32年)の児童数は982人となったが、以後は緩やかに減少している。1974年(昭和49年)2月に体育館が完成した際には、1968年メキシコシティーオリンピックと1972年ミュンヘンオリンピックで金メダル6個を含むメダル10個を獲得した中山彰規を招いて竣工式を開催した。1987年(昭和62年)の児童数は552人、1997年(平成9年)は383人、2007年(平成19年)は251人[4]、2017年(平成29年)は221人、2022年(令和4年)は270人であり、2クラスの学年が多い。
児童数の変遷
『愛知県小中学校誌』(2018年)によると、児童数の変遷は以下の通りである[4]。
1952年(昭和27年)
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619人
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1957年(昭和32年)
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982人
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1967年(昭和42年)
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684人
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1977年(昭和52年)
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735人
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1987年(昭和62年)
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552人
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1997年(平成9年)
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383人
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2007年(平成19年)
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251人
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2017年(平成29年)
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221人
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周辺
脚注
- ^ a b 八幡小学校開校30周年記念誌作成委員会 (1982)、15ページ
- ^ a b 八幡小学校開校30周年記念誌作成委員会 (1982)、12ページ
- ^ a b c 八幡小学校開校30周年記念誌作成委員会 (1982)、14ページ
- ^ a b 愛知県小中学校校長会 (2018)、p.340
参考文献
- 『六三制教育六十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校長会、2008年
- 『六三制教育七十周年記念 愛知県小中学校誌』愛知県小中学校長会、2018年
- 八幡小学校開校30周年記念誌作成委員会『八幡30年の歩み』八幡小学校開校30周年記念事業実行委員会、1982年
関連項目
外部リンク