星子 敏雄(ほしこ としお、1905年(明治38年)11月9日[1] - 1995年(平成7年)7月13日[1])は、日本の政治家。熊本市長(4期)。
経歴
熊本県鹿本郡稲田村(鹿本町[1]を経て現山鹿市)出身。旧制五高を経て1928年東京帝国大学法学部政治学科卒[1]。同年満洲に渡り、関東庁に勤務する。その後奉天省、満州国総務庁で勤務し、1945年満州国警務総局長に就任した。同年、ソ連軍が満州に侵入し、星子はソ連軍に拘束され、シベリアに抑留される[1]。1956年帰国。1963年熊本市助役に就任[1]。1970年熊本市長選挙に立候補して当選、4期16年務めた[1]。1986年に引退[1]。1987年、勲二等瑞宝章受章[2]。1995年死去。墓所は熊本市小峰墓地。
脚注
- ^ a b c d e f g h 『新訂 現代政治家人名事典』476頁。
- ^ 「秋の叙勲に4575人 女性が史上最高の379人」『読売新聞』1987年11月3日朝刊
参考文献
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 『満州国の最期を背負った男 星子敏雄』荒牧邦三 弦書房、2016年。
- 先代
- 19・20代: 1963 - 1970
石坂繁
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- 熊本市長
- 21・22・23・24代: 1970 - 1986
星子敏雄
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- 次代
- 25・26代: 1986 - 1994
田尻靖幹
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