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この項目では、1972年放映のNHKテレビドラマについて説明しています。2018年公開の映画については「BD〜明智探偵事務所〜」をご覧ください。 |
『明智探偵事務所』(あけちたんていじむしょ)は、1972年に日本放送協会で制作され、NHK総合テレビジョンで放映されたテレビドラマである。
解説
本作は江戸川乱歩が創り出した探偵・明智小五郎を主人公とし、サブタイトルに『江戸川乱歩全集』と銘打っていたように、明智が登場する作品を中心として乱歩の小説をテレビドラマ化したものである[1]。
本作はNHK大阪放送局制作であったため、関西エリアが物語の舞台となっていた。また人物設定は乱歩の原作とかなり変え、少年探偵団は全く出てこないものの、少年探偵団のリーダーである小林芳雄を青年にして登場させた[2]。物語を放映当時(1972年)の時代設定に合わせて制作したため、当時流行したゴーゴー喫茶が登場する場面があったという[3]。
本作は当初、1973年3月までの1年間放送予定であったが、毎回1回完結での撮影が続いて出演者の消耗度が著しかったため、また視聴率も一桁が続いて伸び悩み、視聴者からも「底が浅い」「ストーリー構成が単純でネタがすぐ割れる」と苦情が相次いだことで、当時の放送総局長の坂本朝一もこれについて「視聴者のご意向を汲む」とコメントして半年で制作・放映を打ち切らざるを得なかったというエピソードがある[3][4][5]。なお主演の夏木陽介は2018年に逝去したが、生前のいくつかのインタビューに答えて当時の制作状況を語っている。夏木が語るところによれば、脚本の仕上がりが遅くセリフの意味が通じない箇所があった。また脚本の福田善之がリハーサルに同席して、演出家が何も言っていないのにNGをだしてきたため、「演出家の言うことしか聞かない」と言い返した。ある時、脚本の意味の通じないところがあり、演出家に直接伝えておいた。ところがリハーサルの時にも直っておらず、あまりのいい加減さにあきれてしまい台本で軽く演出家の頭を叩いたところ手元が狂って頭を直撃してしまい一瞬にして撮影現場が緊張した。夏木は「降板する」と宣言し、そうした事情から半年で終了したという。夏木は、「若気の至りだった」と反省しながらも、「撮影スケジュールが厳しいことは分かっていたはずだから、俳優のテンションが上がるように工夫してもらいたかった」とも述べている。
主要キャスト
放送回
※ 途中、第20回夏季オリンピックミュンヘン大会中継(1972年8月28日、9月4日)のために2回、日中首脳会談関係の報道特別番組(9月25日)のために1回と合計3回放送休止措置がとられた時あり。
映像の状況
1972年当時、番組制作用のVTRが2インチ規格で機器・テープ共に高価格だったために放送終了ごとに別番組制作・収録で使い回されたことや、その当時は放送局自体に映像の記録・保存の概念が薄かったこともあり、NHKには『明智探偵事務所』の映像は現存していないとされる。
脚注
- ^ 上野友夫『推理SFドラマの六〇年 : ラジオ・テレビディレクターの現場から』六興出版、1986年2月1日、158頁。NDLJP:12276675/83。
- ^ a b 特集『明智探偵事務所』グラフNHK 1972年5月15日号
- ^ a b 明智探偵事務所 テレビドラマデータベース参照
- ^ 週刊TVガイド 1972年8月4日号 p.28「レポート『民放並み?低視聴率打ち切り』」
- ^ 「放送デスクメモ(′72,6/1~7/8)」『マスコミ市民 : ジャーナリストと市民を結ぶ情報誌』第64号、日本マスコミ市民会議、1972年9月1日、50 - 51頁、NDLJP:3463725/27。
- ^ 中島貞夫のオリジナル脚本による回
- ^ 福田善之のオリジナル脚本による回
外部リンク