昆虫の翅 ( こんちゅうのはね ) では、昆虫類 の翅 ( はね ) 、一般にいう羽の構造について記す。いわゆる翼 の一つであるが、脊椎動物 のそれとは全く起源が異なるものである。
翅の構造
イトトンボ の翅 Ischnura senegalensis
昆虫のいわゆる羽・羽根は、生物学 の専門用語では翅 (はね)と表記され、成虫 (と亜成虫 )のみが使用可能な器官である[ 1] 。そのため、成虫になる時の脱皮 を特に羽化 という。
昆虫の翅は、胸部 の背面から突き出している。昆虫の胸部は三節あり、それぞれ一対ずつの歩脚 があるが、翅は第二節と第三節の背面から一対ずつ出る。即ち、昆虫の翅は、脊椎動物 の翼 に見られるような、前脚の変形ではない。従って、翅を持つことが歩脚の性能を制限することはない。飛行可能な脊椎動物(翼竜 や鳥類 、コウモリ )が、その代わりに歩行能力を大幅に制限されるのとは異なり、昆虫の多くは十分な歩行能力をもっている。このような翅のあり方をもつのは昆虫以外では、空想の産物である天使 や烏天狗 などしかない。地球の歴史上、飛行能力を最初に獲得したのも昆虫である。
昆虫の翅は、背中の外骨格が薄く伸びたもので、キチン質 でできている。膜状に広がった翅を支えるために、太くなったキチン質の筋が葉脈のように翅に広がる。これを翅脈 と言う。翅脈は昆虫の羽化時に体液を流し込んで翅を伸展するためにも機能する。翅脈の配置などは、分類上重視される。また、翅の表面には毛 や鱗 が並ぶこともある。小型の昆虫では、翅の周辺に並ぶ毛が、翅の表面積を大きくしている。
昆虫に含まれる目 は、それぞれ独特の特徴をもった翅を持っている。そのため、翅の構造にちなんだ学名 を持ち、日本語 でもそれを直訳した名称を使用していた(例:Diptera:二枚の翅→双翅目)。しかし、最近では賛否両論あるものの、1988年 刊行の『文部省学術用語集 「動物学編」』の方針に従い、そこに含まれる代表的昆虫の名で置き換えることが多くなっている(例:双翅目→ハエ目 )。
さまざまな昆虫の翅
翅を広げるヨーロッパコフキコガネ Melolontha melolontha
シミ などの昆虫は、翅を発達させる前の昆虫の姿を伝えるものと考えられているが、それ以外の昆虫はすべて、翅をもつものか、翅を持っていたが二次的に退化させたもの(ノミ目 、シラミ目 など)とされている。
その中で、古い翅の形をもつのは、カゲロウ目 とトンボ目 である。この両者は、左右の翅を羽ばたきの方向以外の向きに動かすことが出来ず、広げたままにするか、上にそろえて片付けることしかできない。また、両者とも幼虫が水中生活であることも共通している。
トンボ は、空中の一点に留まる事ができ(ホバリング)、宙返りが観察された種 もある。翅 には横方向から見て折れ曲がった構造をしていて凹凸があり、飛行中に気流の渦ができる。その発見以前の翼 の理論では、そのような状態は失速 のように、性能が劣ると考えられていた。
それ以外の昆虫は、ほとんどが翅を羽ばたきの方向に対して後ろ向きに折り畳み、背中に重ねるようにして片付けることができる。ゴキブリ も古い形質をもつ昆虫であるが、翅を下翅二枚、上翅二枚と交互に重ね、背中に密着させて畳む。従って、ふだんは翅がコンパクトに片付けられており、狭い隙間に潜り込んだり翅の損傷を防いだりする際に有利だと考えられている。
大部分の昆虫は、翅を四枚もつが、実質は二枚として使い、トンボ のように前後別々に動かすことはない。チョウ は前後の翅の一部を重ね、同時に羽ばたかせる。セミ やハチ 、チョウ以外の大半のチョウ目 (いわゆるガ )などでは、前翅と後翅が一体となって動くよう、前翅の後縁と後翅の前縁が互いに引っ掛かるように鉤がついている。
また、コウチュウ目 の場合、後翅は膜状で薄く広いのに対し、前翅は硬化していて鞘翅 と呼ばれる。平常時、後翅は折り畳んで背中に密着させ、前翅は後翅や腹部を守るようにその上を覆っている。外から見ると背中を甲羅が覆っているように見えることから、「甲虫」の名がある。コウチュウ目の多くの昆虫では鞘翅を飛翔時にバランサーとしても使う(この例外としてはハナムグリ が挙げられる)。また、飛ぶことのないオサムシ やゾウムシ の一部の種類では、左右の鞘翅が互いにくっついて保護の役割のみを果たしている。同様のことはカメムシ亜目 やハサミムシ でも見られる。
さらに、ハエ目 では、翅が二枚しかない。これは、後翅がごく小さく、先端が球状に膨れた、こん棒状の器官に変形してしまっているためで、これを平均棍 と呼ぶ。平均棍は前翅の運動と同期して高速で回転し、ジャイロスコープ と同様に慣性によって虫体の動きを感知する感覚器として働いている。昆虫で最もうまく飛ぶのもハエ目のもので、種類にもよるが、昆虫のなかでは最速のもの、空中停止(ホバリング)できるもの、宙返りできるものなど、さまざまである。また、カ 類の羽ばたき回数は毎秒600回に達し、ブユ など毎秒1000回の羽ばたきをするものさえいる。
駆動法
動物であるから、筋肉 を用いて翅を動かしているが、その仕組みにもいくつかの型がある。
トンボの場合、翅の基部には筋肉 が結び付いており、これが直接に翅を駆動する。前翅と後翅は別々に動く。
それ以外の昆虫では、筋肉は胸部体節の背面と腹面のキチン板につながり、胸郭を上下に動かすことで、間接的に翅を動かすようになっている。この間接的な翅の駆動機構には一種のクラッチ システムが組み込まれており、羽ばたきに使う筋肉を動かすときに胸郭だけを動かして翅を動かさないようにすることもできる。多くの昆虫が飛翔に先立ち、飛翔が可能なだけの筋力を出せるように、筋肉を動かして体温を上げている。
翅の使い方
昆虫には、翅を飛行以外に使うものがある。有名なのはコオロギ 、キリギリス 、スズムシ などに見られる発音器官として使うことである。前翅は左右対称でなく、ヤスリ状の器官があって、これをこすり合わせて発音している。カやアブ では、翅の鳴音によって雌が雄を誘引するなど、音による情報交換がある。
チョウの翅には、さまざまな色の鱗粉があり、それによって美しい模様ができているが、この模様には、視覚的情報による情報交換の意味が含まれる。トンボにも翅の模様で情報交換するものがある。
水生昆虫 では、ゲンゴロウ などが、翅と体の隙間を空気タンクとして使用し、水中での呼吸 を可能にしている。
先に述べたように甲虫類などは前翅が硬く厚くなっていて、これを体の防御に使う。
翅の起源
昆虫の翅の起源については長らく議論が交わされてきた。伝統的に大きく「エラ起源説 」と「側背板起源説 」があったが、2010年頃に理化学研究所 のグループがイシノミ とカゲロウ で、“翅遺伝子”がどこで発現しているのかを分析したところ、エラと側背板の両方で発現していることが明らかになり、エラ説と側背板説の「複合説 」が大きくクローズアップされた[ 2] 。いっぽう、2020年に発表された遺伝子の研究では、昆虫の翅は祖先の甲殻類 が持っていた脚の基部(先端から8節目)の外葉 が背側に移動して進化した ことが明らかになった[ 3] 。
古生代 に生息した化石 昆虫であるムカシアミバネムシ類 では、胸部第2節と第3節の立派な翅のほかに、胸部第1節にも短い翅があった。また、この昆虫では、腹部にも各体節にそれぞれ1対の、ヒレ状の側面の突起があった。昆虫の先祖は、このようなヒレ状の突起を全体節に持ち、そのうち、胸部のものが発達して、翅になっていったのではないかと考えられる。
無翅の昆虫
有翅亜綱 に属する昆虫の大半は、原則として翅を有しているが、二次的に翅を消失した種、飛行能力を失った種は、トンボ目 とカゲロウ目 以外の全ての目 に存在する。
目のレベルで、その構成種が全て翅を有していないものは、有翅亜綱では、ガロアムシ目 、カカトアルキ目 、ノミ目 である。(シラミ目 、ハジラミ目 も全て翅を有していないが、近年ではこれらは、有翅昆虫であるチャタテムシ目 とともに咀顎目 を構成するとされている。)当然、無翅亜綱 に属するものには全て翅がない。
脚注
関連項目
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昆虫の翅 に関連するカテゴリがあります。
参考文献