『新ライン新聞』1848年7月19日号
『新ライン新聞』1849年5月19日付最終号
新ライン新聞 (独 : Neue Rheinische Zeitung )は、1848年 -1849年 にドイツ (当時プロイセン王国 )で発行されていた革命的な新聞 。
概要
日刊紙『新ライン新聞-民主主義の機関紙』"Neue Rheinische Zeitung. Organ der Demokratie." は、1848年 6月1日 付の第1号からケルン で創刊された。ヨーロッパ各地で起こった1848年革命 勃発とともに亡命先から帰国したカール・マルクス が編集長を務め、フリードリヒ・エンゲルス ほか5名が編集委員となった。
民主主義陣営最左翼の立場からドイツにおける単一不可分の民主共和国の樹立を主張し、封建的な反革命 勢力やこれと妥協的なブルジョアジー を厳しく弾劾した。ドイツ内外に通信員を派遣、ヨーロッパ全域にわたる1848年革命の経過を報道するとともに、マルクス、エンゲルス執筆による大衆啓発的な社説を多く掲載した。マルクスが1847年 にブリュッセル のドイツ人労働者協会で行った講演を基に連載された論文『賃労働と資本 』は、後に広くパンフレット版として出版され、マルクスの経済学説の入門書として現在も広く読まれている[ 1] 。
労働者階級 の解放をめざした非妥協的な態度によって早くからプロイセン 政府の追及を受けた。同年9月の戒厳令 による発行禁止後再刊されたが、編集部員に対する裁判所 と警察 の追及はさらに激しく、マルクスの国外追放と編集部への弾圧の結果、発行を停止、廃刊とせざるを得なくなった。最終号は1849年 5月19日 付第301号で、マルクスの論文「戦時法規による『新ライン新聞』の禁止」を掲載し、全紙面赤刷りで発行された。[ 2] [ 3]
脚注
外部リンク