持田 勝穂(もちだ かつほ、本名・持田 勝男(もちだ かつお)、1905年(明治38年)3月9日-1995年(平成7年)6月25日)。日本の詩人、歌人、ジャーナリスト。
昭和の時代、東京主流の文化の中で地方の文化を盛り立てる事に努力した。同郷の北原白秋を唯一の師として、自らを「九州人」と呼び、作曲家、森脇憲三(もりわきけんぞう)と共に多くのカンタータやオペラを残している。晩年、大西民子(おおにしたみこ)と共に短歌結社「波濤短歌会」を創設した。
1905年(明治38年)3月9日、福岡市上鰯町十四番地(現在・福岡市博多区須崎町)に生まれる。父・作太郎(40歳)、母・フリ(32歳)の次男。兄利一郎(6歳)。父作太郎は幼少期から摂津国灘において酒造を学び、帰郷後、広く杜氏の育成に当たり崇敬を集める。永く県清酒品評会審査員を勤める傍ら自らも自宅にて酒類問屋を営む。勝男の命名は、出生の3月9日が日露戦争奉天陥落の前夜であることに因む。
男声合唱曲「うずしお」作詩、森脇憲三作曲(門司少年少女合唱団委嘱)。歌曲「火の山の祭典」作詩、市場幸介作曲。
1983年(昭和58年)78歳 - 4月、木俣修逝去。8月、形成支部長会に出席し、以後1993年まで「形成」は続けられる。歌曲「真珠のなげき」作詩、平井康三郎作曲。