愛知駅

愛知駅
駅舎(1898年、関西鉄道時代)
(『日本鉄道紀要』(小川一真)より)
あいち
名古屋 (0.6 km)
(8.3 km) 蟹江
地図黒のピンは愛知駅、他は名古屋駅
(名古屋駅は名鉄名古屋駅近鉄名古屋駅を含む)
所在地
北緯35度9分53.7秒 東経136度53分2.9秒 / 北緯35.164917度 東経136.884139度 / 35.164917; 136.884139座標: 北緯35度9分53.7秒 東経136度53分2.9秒 / 北緯35.164917度 東経136.884139度 / 35.164917; 136.884139
所属事業者 関西鉄道鉄道院
所属路線 関西本線
開業年月日 1896年明治29年)7月3日
廃止年月日 1909年(明治42年)6月1日
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愛知駅(あいちえき)は、かつて愛知県名古屋市関西本線上に設けられていた廃駅)である。同線を建設した関西鉄道私鉄)が、名古屋側のターミナル駅として設置したものである。

歴史

関西鉄道は元々、三重県奈良県一帯における鉄道敷設を目的に設立され、現在の草津線に当たる路線を端緒にし、順次後の関西本線片町線になる路線を開業させていった。

そして名古屋側においては当初、官設鉄道との接続を考慮して路線は名古屋駅に乗り入れる形が取られ、1895年明治28年)に開業した。

だが、国有鉄道の駅を間借りする格好であったことから列車増発の支障となる上、関西鉄道では将来的に大阪と名古屋の二大都市間を結び、官設鉄道に対抗することを目論んでいたことから、新たに名古屋駅 - 蟹江駅(現在では八田駅)間へ独自のターミナル駅を設置することになった。これが愛知駅で、1896年(明治29年)に現在の名古屋車両区のあたりに新設された。

駅舎は、時計台もついた洋館造りの立派なもので、その姿は名古屋駅よりも壮大なものとなり、正に関西鉄道のターミナル駅としてふさわしいものであった。同社は1898年(明治31年)に名阪間の新ルートを完成させて急行列車を新設し、いよいよ官設鉄道と対立する姿勢を見せていくが、当駅は正にそのような時代の関西鉄道を象徴する存在となった。

しかし、1907年(明治40年)に鉄道国有法に基づいて同社が国有化されると、名古屋駅から極端に近い位置にあった当駅の意義は皆無となり、1909年(明治42年)に廃止された。廃止後は名古屋駅の一部とされ、特約貨物の取り扱いが行われた[1]

なお愛知駅の駅舎は、ドーマー窓などの派手な装飾を外した上で、1913年大正2年)7月より岐阜駅の駅舎として用いるために移設された。これは、太平洋戦争空襲で焼失するまで用いられた。

年表

隣の駅

鉄道院
関西線
名古屋駅 - 愛知駅 - 蟹江駅

脚注

  1. ^ a b 「鐵道院告示第二十二號 關西線愛知停車場廢止」『官報』第7770号、印刷局、499頁、1909年5月22日。NDLJP:2951120/2 
  2. ^ 「停車場設置」『官報』第3908号、内閣官報局、95頁、1896年7月9日。NDLJP:2947188/4 

関連項目