愛沢 寧堅(愛澤、あいざわ やすかた[1] / ねいけん[2]、1849年9月1日(嘉永2年7月15日[1]) - 1929年(昭和4年)3月4日[1])は、明治期の政治家。衆議院議員。
経歴
陸奥国標葉郡高瀬村(現福島県双葉郡浪江町)で、愛沢為規の長男として生まれる[1][2][3][4]。愛国社に加盟し幹事となる[2][3][4][5][6]。1878年(明治11年)北辰社に加わり自由民権運動を推進した[1]。1880年(明治13年)福島県会議員に選出され、福島自由党の結成を進めた[1]。1882年(明治15年)福島事件により河野広中とともに逮捕された[1][2][4]。1889年(明治22年)特赦により出獄した[4]。
1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙に福島県第5区から出馬して当選し、その後、第3回、第4回、第8回、第9回総選挙でも当選し、衆議院議員を通算5期務めた[1][2][3][5]。この間、立憲政友会協議員となった[6]。
直情径行な性格であったことから晩年は不遇であった[6]。
脚注
- ^ a b c d e f g h 『日本人名大辞典』2頁。
- ^ a b c d e 『朝日日本歴史人物事典』10頁。
- ^ a b c 『衆議院議員略歴』346頁。
- ^ a b c d 『人事興信録』第2版、1090-1091頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 – 衆議院議員名鑑』8頁。
- ^ a b c 『憲政友会功労者追遠録』369-370頁。
参考文献
- 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
- 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『第一回乃至第十九回総選挙 衆議院議員略歴』衆議院事務局、1936年。
- 青野権右衛門編『立憲政友会功労者追遠録』安久社、1933年。
- 人事興信所編『人事興信録』第2版、1908年。